今から遡ること8年前。地図帳を発行する会社が小学校の児童に対し、都道府県の認知度を調べる調査をした。

 県境だけが書かれた日本の白地図を渡し、47都道府県の位置をたずねる質問をしたところ、福井県が最下位という結果となった。

「え、まさかうちが?」

 衝撃的な結果を受け、福井県ではある作戦が始動した。県を挙げての、ブランド力アップ大作戦である。

 その前線基地となったのが福井県東京事務所だ。そして、その東京事務所のなかで唯一、福井県民でなかった職員が村山匡代さん(39歳)である。

自腹で都内の「福井ゆかりの店」を探訪
足かけ3年、いまやその数99店に!

「最初はとにかく、福井の人に喜んでもらいたい一心からスタートしました。東京に来たらふるさとのものを食べたいだろうな、飲みたいだろうなと思って、それができるゆかりの店を探し始めたんです」

 A4判のコピー用紙に印刷され、ホッチキスで丁寧に閉じられた小冊子を開くとまず「福井県 ゆかりの店 IN TOKYO」と書かれた文字が、目に飛び込んでくる。右端に2011年9月更新と打たれており、最寄駅ごとに店名とジャンル、電話番号、住所、オーナー情報などが一覧表になっている。

「最初はこのリスト、8店舗しかなかったんです」

 それがあれよ、あれよという間に増えてゆき、足かけ3年が経過した今では都内だけで99店舗を掲載するまでになった。このゆかりの店は県のホームページでも紹介され、福井の食材を東京に売り込みたい地場の業者などにも広く活用されている。最近は東京都内だけでは飽きたらず、埼玉県や神奈川県へも足を伸ばし、村山さんはゆかりの店を探し続けている。

 村山さんがこのリストを作り始めたきっかけは、ある上司に言われたこんなひとことにあったという。

「そんなに福井のことが大好きで、食べることも飲むことも好きなら、ゆかりの店のリストを作ってみたら?」

 折しも、県ではブランド力を高めようと様々な作戦が進行していた。

 勉強を兼ね、3ヵ月に一度はプライベートで福井に旅をしていた村山さんは「福井にはこんなにたくさんおいしいものがあるのに、東京ではほとんど知られていないのはどうしてなのだろう?」と感じていた。

 東京の人は「コメどころ」と言えば新潟県を思い浮かべる。ブランド米と言えば「魚沼産コシヒカリ」である。しかし、コシヒカリはそもそも、昭和31年、福井県農業試験場で農学博士・石黒慶一郎氏によって品種改良されたコメだ。農林登録番号100番という節目の番号をもらい、「越の国に光り輝く米」の願いを込めて「コシヒカリ」と名付けられた。

 したがって、福井の人に言わせれば「コシヒカリのふるさとは福井」ということになる。B級グルメの「ソースカツ丼」だって、「会津若松には負けん!」という自負があるのである。