テクノロジーが加速度的な進化を遂げるいま、過去の延長線上に未来を描くことはできない。そこには既存の世界観に囚われない、柔軟な発想が求められる。筆者は、そのためにはSF小説が大いなるヒントを与えてくれると主張する。本記事では、有用な作品を紹介しながら、その理由を示す。


 19世紀末、ニューヨークは悪臭を放っていた。15万頭もの馬が、人や荷物をのせてマンハッタンの通りを行き交い、1ヵ月に4万5,000トン(!)もの糞を落としていた。それが通りや空き地に積み上がっていたのだ。

 1898年には、迫り来る危機について解決策を出し合うべく、都市計画者たちが世界中から招集された。だが、何一つ名案は出なかった。馬なしの輸送手段を想像することができなかったのだ。

 それから14年後、ニューヨークでは車の台数が馬の頭数を上回り、馬糞の暗黒郷のビジョンは忘れ去られた。

 仮に19世紀の都市計画者たちが、ビッグデータや機械学習の技術、それに現代の経営管理論を利用できていたとしても、これらのツールは大した助けにはならなかっただろう。現状の問題点を確認するにとどまっていたはずだ。過去の傾向から、これから起こるかもしれない未来を推定することは有用だが、テクノロジーが加速度的に変化している世界において、その効果は限定的である。

 だが、サイエンス・フィクション(SF)ならば、大いに助けになる。

 宇宙船やエイリアンを思い浮かべる向きもあるだろうが、単に現実離れしているだけではない。十分にありうる、もう1つの現実を描くことで、SFは私たちが何をどう考えているか、さらには、なぜそう考えるかを浮き彫りにする。現実がいかにもろく、そして未来がいかに柔軟に変わりうるかを明らかにしてくれるのだ。