パーキンソン病と闘いながら両親の介護に向き合う記者の思い休みだろうが、いつ何時出動要請がかかるかわからない記者の仕事は激務で大変だ(写真はイメージです)

パーキンソン病と闘いながら
勤務を続ける記者

パーキンソン病と闘いながら両親の介護に向き合う記者の思い『わけあり記者』
三浦耕喜、高文研、208ページ、1500円(税別)

 弱者の気持ちを知っている人が、公器としてのペンを持っている社会は安心だ。本書『わけあり記者』の著者は、中日新聞の記者である。過労からうつ病になり、復職後に両親の介護をかかえ、パーキンソン病の進行を薬でおさえながら勤務を続ける「わけあり記者」だ。本書では、「ここまで書いてしまって良いのか」と思うほど克明に、事の次第を綴っている。心を動かされない人は、まずいないだろう。

 熟達した記者の文章なので、一気に読める。しかし、執筆には相当の時間がかかったものと思われる。なにせ著者はパーキンソン病で、現在は右手の指一本で原稿を打っているのだから。一冊の本をまとめるには、相当に強い意志の力が必要だったはずだ。果たしてそれは、どんな思いだったのだろう。本書のエピローグには、「世のわけあり人材よ胸を張れ」とある。

“「わけあり人材」とは、人生の経験値が高い人のことではあるまいか。職場においても組織においても、最も大切な「気付き」をもたらす宝ではないのか。「わけあり」とは人生を制約する鎖に見えて、実は多くの人を励ます翼になり得るのではないか。~本書より”

 この思いが、著者を支えたのだ。まず、「一つ目のわけあり」からみていきたい。著者は、うつ病を生み出す社会の病巣のひとつは、古いキャリア形成の仕組みのうえで地位を築いてきた“クラッシャー上司”の存在にあるとみている。他のうつ病体験記では、職場に波風を立てることを恐れて書けないところまで、一歩踏み込んだ記述をしている。

 自身のFacebookに残っていた記述をもとにまとめられているので、非常にナマナマしい。本書は、このなかで“攻撃”している当時の上司に一言断ったうえで書かれたそうだ。そんなリスクを負ってまで生傷をさらしたのは、いま悩んでいる人の力になりたいという切実な思いなのだと思う。この病気になった自分にしか伝えられないことを書きたい、という強烈な記者魂なのだろう。