「私の高校の同級生みたいに、逃げなかったバカなやつがいる」

 東日本大震災後の津波災害に関連して、平野達男震災復興担当相が10月18日、福島県の民主党研修会でそう発言したと、産経新聞で報じられた。

 この話を知って、真っ先に思い浮かんだのは、震災後、津波が来るという情報を聞いても、「身体が動かない」「人間の集団生活が怖い」などの理由から自力で避難することのできなかった「引きこもり」をはじめとする「災害弱者」たちのことだ。なかには、どうすることもできずに自宅の2階などに留まり、家ごと津波に飲まれた人たちもいる。記事を読んだときは、何て無神経な発言だろうと思った。

 ところが、問題とされた箇所の前後の話や平野担当相の釈明などを聞いてみると、同級生だった友人に対して「バカなヤツだな、逃げないなんて」などと親しみを込めた趣旨のものであったことがわかる。

 とはいえ、現職の震災復興担当大臣が「逃げなかったバカなやつがいる」と、言い方を間違えてしまったという意味では、失言と批判されても仕方ないのかもしれない。

被災地を訪れるうちに生まれた疑問
震災時、引きこもりの人はどうしていたのか

 引きこもり気味の母子が、震災が来ると知らされながら、家から逃げなかったという話は、原作・小松左京氏、漫画・一色登希彦氏によって2006年に文庫化された『日本沈没4 古都消失』(小学館)の中にも出てくる。しかし、現実に起きている出来事は、漫画の想像をも超えるものがある。

 引きこもり状態だった人たちは、震災の後、避難できたのか。震災は、彼らにどのような変化をもたらしたのか。たびたび宮城県石巻市などの被災地を訪れるうち、そんな問いが生まれた。

 きっかけは、宮城県女川町での、ある住民の女性の話だった。女性が地震の後、外で津波の様子を見ていると、初めて隣の家から出てきた青年に会った。しかし、声をかけると、再び両親のいる家に戻ってしまった。住民女性によれば、その青年は引きこもりだったのではないかという。

 その後、大津波が押し寄せてきて、住民が振り返ると、青年の家からは誰も出てくることなく、津波に飲まれて流失してしまった。その引きこもりと思われる人の話を聞いて、もしかしたら、被災地には他にも、逃げられなかった引きこもりの人たちが、たくさんいたのではないか。引きこもりの人も、自力で避難できない「災害弱者」だったのではないかと思ったのである。