しかし、ここに中国政府はの“誤算”があった。

 期待をかけられたエリート留学生たちが、いったん海外に出てしまうと、なかなか中国に戻ってこなかったのだ。それどころか、海外への永住を希望する人が増えるばかりとなった。私はこれらの人を「新華僑」と名づけたが、それはやがて海外に移住する中国人の代名詞となった。

 改革・開放政策の実施したころから1990年代半ば頃まで、留学生として外国に渡った人の総数は25万人に上ったが、「戻ってきたのは8万人」という厳しい現実を、当時の中国政府関係者も認めている。

 天安門事件後、中国政府は一時期、海外に暮らす留学生たちに「帰国服務」、つまり祖国に戻って国に尽くすことを求めた。予定どおりに帰国することを「愛国心の現れ」と高く評価し、海外に残ったままの人をまるで犯罪者扱いしてきた。だが、こうした高圧的な措置が多くの人々の反感を買い、留学生はますます帰国しなくなり、新華僑の陣営は拡大する一方だった。

 まるで時代に逆行するような、そうした当時の流れを見て、鄧小平は留学生の言動を厳しく追及せず、中国と海外を行き来する自由も保証し、たとえ一時帰国の形でもいいから帰国することも歓迎する、といった趣旨の発言もした。こうした政策変更は、新華僑たちから高く評価されたが、それでも中国に帰国する人数の増加には大して寄与しなかった。

米国が中国人に
永住権を与える法律を発効

 一方、米国は1990年4月以前に入国した中国人に、1993年7月1日までに、全員に永住権を与えるという内容の「中国人留学生法」を発効させた。この法律の適用者は、実に8万人もいる。これほど大量のハイレベルな中国人たちが、しかも短い期間に米国に永住することになったというのは、いままでの中国人移民史においても、米国の歴史においても前例のないことであろう。