リビアのほぼ中間に位置する、地中海沿岸の街シルテから、南の砂漠地帯に10キロほど入ったところであったろうか。カダフィ(ムアンマル・アル=カッザーフィー)はその砂漠の中で、1942年に生を受けた。神童とも呼ばれるこの少年は、のちにシルテの街の学校で学び、ついには軍士官学校を優秀な成績で卒業し、リビア王国軍の軍人となっている。

 成績優秀だったことから、彼は英国への留学を認められ、英国に滞在したことがある。一説によれば、彼はこの留学時代にリビア王国高官たちの、堕落した様子を見て発奮し、後にクーデターを起こすことになったと言われている。彼のクーデターは多分に、隣国エジプトのナセル革命に、触発されたものであったようだ。

 そして1969年遂に、彼は仲間たちとともに、国王イドリス1世の外遊中を狙い、クーデターに成功することとなった。その時、彼はまだ27歳の若さだった。その若者が進めようとする改革路線は、若者に共通した性急で、短絡的なものであったようだ。短期間にリビアを変えたいと思うあまり、ついて行けない国民を締め付けることも重なった。

 そうなると国民の間には反カダフィ感情が高まり、反体制の動きが何度となく起こった。そして、それは容赦なく弾圧されることとなった。その結果としての独裁者カダフィのイメージだった。

若さ故の性急さで
インテリに見放された

 カダフィの性急な国家発展の進め方は、その理想とするところは素晴らしいのだが、残念なことに、リビア国民の民度の低さから理解されなかったし、官僚の中にもカダフィの方針をスムーズに進める能力を、持つ者が極めて少なかった。

 数少ないインテリたちの多くは、カダフィの乱暴な進め方に反発し、周辺諸国に亡命して行っている。最近中東などで開催される国際会議では、極めて優秀なリビア人たちに会うことが多い。彼らは60歳台前後の人たちで、カダフィ革命と付き合いきれなくなり、イギリスやアメリカに留学し、その後もその地に住み着いている人たちだ。