2003年に導入された分社化による持ち株会社制は旭化成の多角化経営にスピード感を与え、狙いどおりに業績は好転した。しかし同時に「中小企業の集合体」に甘んじる罠にも陥った。11年、グループ横断で事業を創出する「融合」戦略が打ち出された。新戦略は有効に機能するのか。失われた「変身力」は取り戻せるのか。旭化成はどこを目指すのか。
(「週刊ダイヤモンド」編集部 臼井真粧美)

 旭化成創業の地であり、主力生産拠点である宮崎県延岡地区。2011年4月に赴任した旭化成の松居龍・延岡支社長は「レーヨン工場前」と書かれたバス停の前に立ち、目の前の工場を感慨深く見上げた。01年に自らが工場長として生産を停止させて解体を見届けたレーヨン工場の跡地は、新しい工場の活気に満ちていた。

 旭化成の製品でまず思い浮かぶのは食品包装用ラップフィルムの「サランラップ」や都市型住宅の「へーベルハウス」だろう。この二つは事業のごく一部。実態は上の写真にあるようにトップシェア主義の超多角化企業だ。事業範囲はケミカル・繊維、住宅・建材、エレクトロニクス(電子部品・材料)、医薬・医療の4領域に及ぶ。自動車や携帯電話には旭化成の部品・材料があまた使われている。 

 多角化は1931年の創業以来、10~20年単位で主力事業を乗り換えてきた結果であり、繊維に始まり石油化学、次に住宅、さらにエレクトロニクスや医薬・医療へと育成事業をシフトさせてきた。

 松居支社長は工場長時代、繊維事業を再生しようとトン単位で安価に販売するボリュームビジネスから、付加価値を付けて少量販売するモデルへの転換に汗をかいた。当時、これが具体的な成果を結ぶことはなかった。しかし多角化経営によって別のかたちで実現した。跡地で生産されているのは人工透析に使われる人工腎臓。高付加価値型の製品である。

 延岡地区の繊維生産は縮小し、代わってエレクトロニクスや医療の工場がどんどん立ち上がっていった。創業の地は「事業の枠を超えた新陳代謝でよみがえった」(松居支社長)のである。