「知の創造」は予定調和しない

 読書は短期目線でいいと指摘する理由について、別の角度から述べてみたいと思います。それはイノベーションもまた予定調和しない、ということです。

 最近、多くの企業、それも日本を代表するような大企業から、「イノベーションを加速するための組織開発、人材開発を手伝ってほしい」というご相談をいただくのですが、どうもイノベーションというものについて、相当誤解が蔓延しているという印象を持ちます。

 これは恐らくMBA的な、経営管理の側面が強い知識が普及したことの悪影響なのだと思うのですが、一言でいうと、「イノベーションは体系化できる」という誤解を持っている方が多いのです。そして、我々のような会社に「その体系を教えてくれ」ということでいらっしゃるのですが、これは難しい。

 スティーブ・ジョブズは、ビジネスウィークの記者から「あなたはどうやってイノベーションを体系化したのですか?」と聞かれて、「そんなことはしちゃだめだ」と即答しています。

 経営学の教科書とは逆に、人文科学全般の、あるいは自然科学における過去の大発見の過程は、イノベーションそのものをマネージすることはできないことを示唆しています。

 イノベーションが起こりやすい組織をマネージによって生み出すことはある程度できるかもしれませんが、イノベーションというのは花のようなもので、それ自体を人為的に生み出すことはできないのです。我々ができるのは、花が育ちやすい土壌と環境を整えて十分に栄養と日光を注いでやることだけです。

 では具体的に、その体系化の中にどんな誤解があるかというと、大きなものの一つとして「用途市場を明確化してからイノベーションを目指すべきである」という仮説が挙げられます。

 確かに、経営学の教科書をいくつか読んでみると、開発の初期段階からターゲット市場、ターゲットユーザーを明確化することが、ある種のルールとして書かれていることが多い。

 しかし、こんなことをしたらイノベーションは起きません。歴史をひもといてみればすぐにわかることで、過去の偉大なイノベーションは、本来意図した用途市場とはまったく別の用途で花開いているケースが多いのです。

 たとえば飛行機がそうです。現在と同様の原理で飛ぶ飛行機を実際に作り上げたのは、もちろんライト兄弟ですが、では彼らが飛行機の発明によって、人物や物資を運搬することで対価を得るという今日の航空産業を思い描いていたかというと、実はまったくそうではないのです。

 ライト兄弟は、ある別の、崇高とも言っていい目的で飛行機を発明している。それは戦争の終結です。航空機が真に民主的な政府の手に渡れば、偵察の範囲も広がるために奇襲なども不可能になり、戦争の抑止機能になるだろうと彼らは考えたのです。

 しかし実際にはご存じの通り、飛行機は米国による広島、長崎への原爆投下やベトナムへの枯葉剤散布など、人類史にも例を見ないような残虐行為に用いられることになります。あまり知られていないのですが、ライト兄弟は、最終的に飛行機を発明したことを悔いていたのです。

 さらにわかりやすい例を加えれば、蓄音機がそうです。これはご存じの通り、エジソンの発明ですが、ではエジソンがプライベート空間で音楽を楽しむという、今日の音楽産業を思い描いていたかというと、これもまったくそうではありません。

 彼は、蓄音機の用途として「速記」や「遺言の記録」といったことを考えていたようですが、そんなものが大きな経済価値につながるとはどうしても思えず、蓄音機のアイデアを早々に放逐しています。

 用途市場を明確化してもイノベーションは発現しない。ということになるとターゲット市場を明確化せず、無駄なことでもドンドン許容して研究するべきなのかということになるわけですが、さすがに、そんなことをしていたら会社がもちません。

 ここで重要になるのが「何の役に立つのかよくわからないけれども、なんかある気がする」というグレーゾーンの直感です。これは人類学者のレヴィ・ストロースが言うところの「ブリコラージュ」です。