震災で家族を失った遺族を、新聞やテレビではあまり見かけなくなった。遺族はその死にいかに向かい合い、何を感じているのか。私たちが被災者を語るとき、本来、ここが原点になるべきなのではないのだろうか――。

 今回は、葬儀社を経営する父を失い、その後を継いだ女性を取材することで、「大震災の生と死」について考える。


「父は生きている」とひたすら願った
半年経っても現実を受け入れられない

“正気”を失う孤立マンションで祈り続けた家族の無事<br />父はあのとき、死ななければいけなかったのか――。石巻葬儀社の専務取締役、太田かおりさん。亡き父の代わりに会社の経営を担う(上)。創業80年を越える石巻葬儀社(宮城県石巻市)(下)

「まだ、父の死を受け入れることはできていない。毎日、無意識のうちに悲しい。漠然とした悲しい思いが半年以上、続いている」

 太田かおりさんは、目にうっすらと涙を浮かべ、思いを語った。父の太田尚行さん(69)は、創業80年を越える株式会社石巻葬儀社(本社・宮城県石巻市)の社長を、長年にわたり務めていた。かおりさんは父を専務取締役として支え、16人の社員を束ねてきた。

「父がいなくなった感覚がない。3月11日の朝も、地震が起きた瞬間も、この事務所で仕事をしていたから……」

 会社の事務所から1キロほど離れた家には、母(尚行さんの妻)と姉が生活しているが、3人が集まると父の話になるという。

「父が座っていた椅子の背もたれには、父の服がかけられている。父があの日、かけたままの状態で……」

 3月11日午後2時46分、激しい揺れが起きた。1時間を経た後、津波は会社がある市中心部の中里町2丁目にも押し寄せた。そのとき、かおりさんは父と連絡がとれなくなった。

 自宅にいた尚行さんは、会社にいるかおりさんや社員が心配になり、事務所に車で向かった。その後、行方がわからなくなった。