書を捨てよ、町へ出よう。

 かつて、寺山修司は、そう唱えて、激しく時代を挑発していた。

  あの頃のことを昨日のように憶えている人も多いはずだ。

 寺山修司の洗礼を同時代に受けた人も、伝説として知っている人も、知らない人も、いつだって時代は、若者に対しては過酷な試練を与えている。混沌とした社会で如何に生きて行くべきか?真実の自分を探すべく、若者は荒野をめざし旅に出るものだ。

 そして、大人になる。

 大人は、社会の中に自分の居場所と出番を探し出し、それらを確保し、仕事に私生活に精を出す。

 ところで、大人になったら、自分探しの旅は不要になるものか? 

 答えがイエスでもノーでも、「これこそは」と言えるものが見つかるまでは、人生、常に旅路にあるようなもの、ともいえるだろう。かの松尾芭蕉も「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」と、書いている。

 だから、ビジネスの最前線にいる大人も、時には、旅に出てみませんか?と、言うは易く、行うは難し。

 長い休暇を取って、非日常にどっぷりつかる旅に出かけられる幸運な人ばかりじゃない。だとすれば、出張を「旅」に変えてしまえばよい。もちろん、仕事はしっかりこなしたうえでの話だけれど、移動中の時間の使い方次第で出張も「旅」になるはず。例えば、太平洋を越える飛行機の中なら、たっぷり14時間。さあ、どうしますか?寝るもよし、仕事の準備もよし、映画だって見られるし、本も読める、何もしないで無為の時を過ごすのも(やや退屈ではあるが)悪くない。