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「土建屋さん」なのにハチミツ販売でまさかの大ヒット!
公共工事激減のピンチを生き抜く3代目の秘策

まがぬまみえ
【第23回】 2011年11月17日
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 若手県人会の集まりに出席するため、早朝に福井県美浜町の自宅を出てきた北山大志郎さん(42歳)は、東京駅から待ち合わせ場所の日本橋までスーツケースを引いて歩いてきた。

 学生時代にボートで国体に出場したこともあるため体格はいいが、話し方はとても穏やかで、優しげな印象を受ける。

 「3人きょうだいで、姉が2人。だから、長男ですが末っ子なんです」

 iPadを持ち歩き、事業ごとに立ち上げたフェイスブックにもマメに書き込んでいる。タフさと繊細さ、熱さと冷静な判断力を兼ね備えた彼の職業は「土建屋」である。

原発のある町・美浜に生きる「土建屋さん」

 地方の建設業界は今、かつてないほど厳しい時代を迎えている。震災復興がらみで一時的に建設投資額が上向いたとしても、過疎化と財政難が同時進行している地方の実情を考えれば、決して楽観視できる状況ではない。

 「美浜に関して言えば、建設業が生き残れるパイそのものがもうなくなってきているんです」

 と北山さんは言う。

 地域活性化の大きな期待を背負い、福井県美浜町に関西電力初の原子力発電所が作られることが決まったのは1962年のこと。

 「1970年の大阪万博ありますね、あそこに電気を送ったのが美浜の1号機やったんです」

 原発は過疎化の速度を緩めることには貢献したかも知れないが、その流れを押しとどめるほどの力は兼ね備えていなかった。町の人口はじわじわと減り続け、2011年11月1日現在では1万639人である。

 地元に生まれ育った北山さんにとって、原発は「いい・悪い」を論じる対象ではなく、「生まれた時からそこにあるもの」だ。

 「ないに越したことはないけれど、ないとみんなが生活できない。だから、ずるい言い方かもしれんけど中立です。ただ、なくなった場合にどうするかについては今から考えておかなあかんし、それに今すぐ気づいて行動できるかどうかで、10年後の未来が大きく変わると思っています」

体育教師の夢を諦め、家業を継ぐべく
中小ゼネコンに修業へ 

 北山さんが専務を務める北山建設は1958年(昭和33年)、彼の祖父が興した会社である。

 「今はもうないんですが、祖父はその頃、地元でそこそこ大きな材木屋をやっていたんです」

 「材木ですか?」

 「ちょうど高度経済成長が始まった頃で、住宅がブームやったらしいんです。その頃は材木だけでなく、家具も作って販売していました」

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