今回、なんだか凄いタイトルで処世訓を書くことになったが、修羅場において私自身の指針となった古典の章句を参考に、決して上から目線ではないものを提供したい。もし可能ならば読者の皆さんの抱えている問題などを編集部に送ってもらい、それに答える双方向問答もやりたいと思っている。

取材する側とされる側に
生まれた信頼

其の1 「三十六計、逃げるが勝ち」(孫子)<br />清武的な挑戦と西川的な勝利の術えがみ ごう/1954年1月7日兵庫県生まれ。本名小畠晴喜(こはた はるき)。77年3月早稲田大学政経学部卒業。同年4月旧第一勧業銀行(現みずほ銀行)入行。高田馬場、築地などの支店長を歴任後、2003年3月同行退行。1997年に起きた第一勧銀総会屋利益供与事件では、広報部次長として混乱収拾に尽力する。『呪縛 金融腐蝕列島』(高杉良作・角川書店)の小説やそれを原作とする映画のモデルとなる。2002年『非情銀行』(新潮社)で作家デビュー。以後、作家に専念するも10年7月日本振興銀行の社長に就任し、本邦初のペイオフを適用される。
Photo by Kunihiko Takaoka

 さて、巨人軍球団代表兼ゼネラルマネジャーの清武英利さんが、ナベツネこと渡辺恒雄読売新聞主筆、巨人軍会長に楯突いた。文科省記者クラブで記者会見し、涙ながらに渡辺氏の「鶴の一声」的な不当な人事介入に、重大なコンプライアンス違反だと文句を言ったのだ。その結果、清武さんは球団代表兼GMを解任 されることになった。

 実は、私は清武さんと友人である。盟友と言っていい。

 出会いは、1997年の第一勧銀総会屋事件にさかのぼる。あの頃、清武さんは読売新聞社会部のキャップで、チームを率いて第一勧銀や野村証券の総会屋事件を追っていた。どこの社も野村証券を追及していたが、読売新聞だけは、総会屋への資金の出し手だった第一勧銀を執拗に追い、ゴルフ場開発融資などの不正を立て続けにスクープした。私は広報で、夜中に読売新聞の清武チームの記者に何度も寝込みを襲われた。