国語の議論を算数の議論にすると
結論はまるで違ってくる

 以上の結果をまとめると、ベストシナリオケースでも、税収は50~55兆円、歳出が80兆円となる(もし、野田政権がここまでの歳入増、歳出カットを実現できれば、5年は続くだろうが)。この場合、不足額は25~30兆円となる。この不足額を(痛みや構造改革を伴うが)、現在の世代で負担するのが増税・改革路線であり、将来世代に先送りするのが国債増発(あるいは極端な場合は日銀引受)・現状維持路線である。あとは市民がどちらがベターかを選択するだけの問題である。

 私見では、増税は決していいことだとは思わないが、少なくとも人口が減少していく私たちの子どもや孫の世代に先送りするよりは、まだましな選択肢のように思えてならない。(ちなみに、このケースでは過去の借金の返済は一切考慮していないので、この場合、国の債務残高は減少しない。)

 このように国語を算数に直すだけで、会場の意見は様変わりする。少なくとも、景気が良くなれば、すべての問題が解決するという、能天気な楽観論は姿を消す。なぜなら、国語ではなく算数で詰めて考えていくと、景気が良くなっても問題が解決するわけでは決してないという事実が、明々白々になるからだ。

 これは何も増税問題に限ったことではないが、新聞やテレビ等の有力メディアが政策論を取り上げる際には、少なくとも国語だけではなく、算数(主張の根拠となる具体的な数字やデータ)で論じて欲しいと願わずにはいられない。少子高齢化が大問題だと考えている人は多いが、それにも係わらず少子高齢化の傾向を止めることはできないと考えている人もまた多い。

 ところが「1人強の働く世代が1人の高齢者(65歳以上)を支える社会がサステイナブルだと思いますか?」と問うと、ほとんどの人が「不可能」に手を挙げるのだ。このように、国語ではなく算数で考えるクセを社会が身につけていくことこそが、問題解決の近道ではないか。