賛否どちらの側にも不満が残った
国論二分の「TPP大議論」

 先般のAPEC会合で野田佳彦首相は、日本がTPP交渉に参加したい意向を持っていることを表明し、オバマ米国大統領はこれを「歓迎」することを表明した。

 日本がTPPの交渉に参加することは、他の交渉参加国の賛意を前提としているので、まだ正式に決まったわけではないが、米国を含む他国が日本の参加を了承すれば、日本は少なくともTPPの「交渉」には参加することになる。

 もちろん、交渉の進展内容によっては、交渉途中での日本の離脱もあり得るし、交渉が合意に至ってからも、国会でこれが批准するかどうかという問題があるので、現段階では「TPPへの参加」が決まったわけではない。

 しかし、大きな方針として「TPP」と呼ばれる枠組みに参加しようとして日本の外交が動くことは、実質的には決まったと見ていいだろう。

 TPPへの参加の可否を巡っては、「国民的」と呼んでも大袈裟でない大規模な議論が起こった。過去数年、「原発」「年金」「郵政民営化」などが政治的に注目を集めるイシューになったことはある。しかし、これらは、「TPP」と比較すると、多方面にわたる熱い議論が行なわれたようには思われない。

 新聞・テレビなどのメディアも、再々TPPを取り上げたし、とりわけインターネットの世界ではブログや掲示板、さらには各種のSNS(ツイッターやフェイスブックのようなソーシャル・メディア)で、賛否両論が活発に議論された。

 だが、率直に言って、TPPに関する議論は、賛否どちらの側から見ても不満の残る不十分なものだったのではないだろうか。われわれ日本国民は、TPPの何をどのように議論したらいいのかに関して、十分な事前了解を持っていなかったし、今も未整理なままなのではないだろうか。

 TPPに参加するかしないか。あるいはもう少し正確に、TPP交渉に今参加するかしないかについて、これを普通の意思決定の問題として見た場合に、相当に複雑な多くの考慮要素があった。