大事なのは「知っている」ことではなく、それを「より良い生」に反映させること。スティーブ・ジョブズの名言「本当のアーティストは出荷する」にならえば、「本当の教養者は豊かな人生をまっとうする」ものだ。MBAを取らずに独学で外資系コンサルタントになった山口周氏が、知識を手足のように使いこなすための最強の独学システムを1冊に体系化した『知的戦闘力を高める 独学の技法』から、内容の一部を特別公開する。

「教養主義の罠」に落ちない

 ここ数年、ビジネスパーソンのあいだで「教養」ブームが起きています。私自身は学部も大学院も出身が哲学科ですから、いわゆる「教養=リベラルアーツ」がどれほど知的生産の現場においてパワフルな武器になるかということを身にしみて理解しているつもりなので、これはこれでいい傾向じゃないかと思っているのですが、一つだけ留意点を指摘したいと思います。

 それは「教養の習得」それ自体を目指さない方がいい、ということです。大事なのは、教養の習得によって「しなやかな知性」を育むことであり、さらにはそれによって本当の意味で「豊かな生」をまっとうすることでしょう。

 この目的に照らして考えてみれば、頭でっかちに教養そのものを求めていくことは、むしろ逆効果となることも考えられます。ポイントは、教養を「仕事の成果の埋め合わせ」に用いない、ということです。

 というのも、昨今の教養ブームに思い切り乗っかって踊りまくっている人を観察すると、仕事でなかなか成果が出せないコンプレックスを、教養をひけらかすことで埋め合わせているように思えるからです。

 わかりやすく考えてもらうために、下の図を見てください。

 縦軸は「仕事ができる・できない」、横軸が「教養がある・ない」というマトリックスです。この中で一番望ましいのは、もちろん「仕事ができて教養もある」というマトリックスでしょうが、まあこういう人はめったに出てこないわけですし、出てきてもどうせ勝てないので問題にもなりません。

 逆に問題になるのが「仕事はできるけど教養はない」と「教養はあるけど仕事はできない」というマトリックスです。このうちのどちらが上位なのかという問いに対する答えは人それぞれでしょうが、このまさに「人それぞれ」であるというところに、教養主義へと逃避する人が勝機を見ていると思うのです。

 単純に「仕事ができる人」と「仕事ができない人」を比べると、後者をより好ましいと思う人はあまりいないでしょう。では、後者に位置付けられる人が、そのコンプレックスを埋め合わせられるような別の評価軸がないかと考えてみると、「教養」というのはとてもパワフルな競争軸として浮かび上がってきます。

 なぜかというと「仕事ができる人」は大概の場合、非常に忙しいので分厚い古典文学や難解な哲学書なんかを読んでいる暇がないからです。これはつまり、「仕事」と「教養」がトレードオフになっている、もっと直截に言えば「教養」というのは多くの「仕事ができる人」にとって急所だということです。

「○○さんって、優秀ですよね」
「ああ、そうだね。でも教養ないでしょ、あの人」

 と言えればどんなに気持ちいいか、と思う人の気持ちはわからないでもありません。「仕事ができない」というのは現代社会では死刑宣告みたいなもので、そのために社内でも社会でもこれまで脚光をあびることのなかった人が、自分なりに「別の死刑宣告」をするために異なる競争の枠組みを設定して自己満足に浸ることができる。これが、教養主義が過剰にはびこりつつある理由ではないかと思うのです。

 そのように考えていくと、「仕事ができない」人たちが、自分のポジショニングを変えるために「教養主義」に突っ走るのは、一見するととても合理的に思えるかもしれませんが、しかし実はまったく合理的ではありません。

 なぜかというと、教養を頭でっかちに蓄えるだけでは、まったく人生の豊かさは増えない、むしろ偏屈で扱いにくい人間になっていくだけだからです。