もはや「情報の量」は価値ではない。情報そのものより、情報の「処理能力」をいかに高めるかが重要だ。知識より、それを使いこなせる力が今求められている。MBAを取らずに独学で外資系コンサルタントになった山口周氏が、知識を手足のように使いこなすための最強の独学システムを1冊に体系化した『知的戦闘力を高める 独学の技法』から、内容の一部を特別公開する。

情報は量より「密度」

 独学において大事なのは「入れない情報を決める」という点です。

 独学の目的を「知的戦闘力の向上」にするということは、とりも直さず「独学のシステムの出力を向上させる」ということですが、現在は情報がオーバーフローの状態にあるので、システムのボトルネックはインプットされる情報の量よりもそれを抽象化・構造化する処理能力のキャパシティにあります。

 つまり、いたずらにインプットを増やすよりも、将来の知的生産につながる「スジのいいインプット」の純度をどれくらい高められるかがポイントとなるわけで、わかりやすくいえば「量よりも密度が重要になる」ということです。

 だからこそ「テーマ」を設定し、そのテーマに沿ったインプットを意識することが重要なわけです。

 情報という言葉を英語にすると、インフォメーションという言葉とインテリジェンスという二つの訳語があります。米国の諜報組織CIAの訳語は中央情報局ですが、CIAのIはインフォメーションではなく、インテリジェンスです。ではインフォメーションとインテリジェンスは何が違うのでしょうか?

 言葉自体の元々の定義はともかくとして、こと「知的戦闘力を高める」という目的に照らして考えれば、両者は「その情報を取得したことで意思決定の品質が上がるか?」という点で違いがあります。

 インフォメーションが、単なる情報でしかないのに対して、インテリジェンスというのは、その情報から示唆や洞察が得られるということであり、さらにいえば、その示唆や洞察によって、自分の意思決定の品質が上がるということです。

 私はニュースの類をほとんど見ません。アイドルグループのSMAPが解散しましたが、このニュースも解散後しばらくたったときに、たまたまタクシーに同乗した同僚から「そういえば、SMAP解散しちゃいましたね」という話題を振られて初めて知ったくらいです。

 これを「情報の取得→示唆の抽出→行動への反映」という枠組みで考えてみれば、「SMAPが解散した」という、恐らく膨大なエネルギーと時間をかけて日本中の人々が流通させた情報には1ミリの価値もないことがわかるでしょう。

私にとっては、SMAPが解散しようがメンバー同士が同性婚しようが、自分の行動の変化に直結する示唆も洞察も得られないからです。

 世の中に垂れ流されている情報のほとんどは、誰それが離婚したとか浮気したとか、そういう「自分の人生にとってどうでもいい情報」であることがほとんどです。

 そういえば、ビルバオのグッゲンハイム美術館の設計などで世界的に著名な建築家フランク・ゲーリーは、東大の建築学科の授業で次のように語っています。

皆さんもひとつ実験してみればわかるのではないかと思います。新聞を読むのをまる一ヵ月やめてしまうのです。やめて一カ月たっても、知らなければならない大事なことは大体わかっているということに気づくと思います。建築の出版物に対しても同じことが言えるかと思います。実は私は四、五年にわたって購読をやめてしまって、どんな雑誌も全然読まないという時期がありました。しかし、それでも知らなければならないもの、知っているべき重要な建物に関してはちゃんと知っていました。言ってみれば、雑誌を読むとか検討することに時間を使わなくても、どこかからそういう情報は入ってくるということなのでしょう。
――東京大学工学部建築学科安藤忠雄研究室・編『建築家たちの20代』

 情報には価値がある、と考えられがちなのは、恐らく情報処理におけるボトルネックが「情報の量」だった時代の名残なのでしょう。しかし現在は、情報処理のボトルネックは、「情報の量」から「情報処理のキャパシティ」に移ってきている。だからこそ、いわゆる「ビッグデータ」が問題になるわけです。

 あれは「ビッグデータ」という名称から、ポイントが「データの量」にあるように見えるわけですが、そうではなく、誰にでもアクセスできる大量のデータから、どうやって自分にとって意味のある洞察を抽出できるかという「情報処理の能力」についてのキーワードなんです。

 同じことが、個人にも適用して言えるのであれば、むしろ積極的に情報は遮断して、自分の持っている情報処理の能力を、自分にとって意味のある洞察や示唆に得られる領域にフォーカスすることが重要なのではないでしょうか。