豊満で官能的な魅力をとめどなくあふれさせている

本間恵子

 コンプリケーションとは、ある意味で手強く、親しみにくく、近寄りがたい存在だ。機械式時計に関するさまざまな知識や、美術工芸に対する理解、ときには自然科学の見識を持っていないことには、その深遠なる小宇宙へと入っていくことが難しいからだろう。

 だがコンプリケーションは、大量生産されるデジタルウォッチやスマートウォッチなどによって阻害されたもの、生気を失ってしまったものを我々の手に取り戻そうとしているようにも思える。

 無味な記号へと置き換えられてしまった時・分・秒、暦法、音や手ざわりといったものまでへの関心を、今一度呼び覚まそうとしているのがコンプリケーションなのだ。

 例えば、永久カレンダーやムーンフェイズ。月の大小や閏年を組み込み、月の公転周期を組み込んだ時計は、天文のロマンをぎっしりと詰め込んでいる。澄んだ音をたてるリピーターには、鈴虫の声に耳を傾けるような雅趣もある。

 ラップタイムが計測できるラトラパンテを手にした人は、プッシュボタンを押すときの硬質な感触に夢中になることだろう。不要な飾りとして現代が脱ぎ捨ててしまったものが、コンプリケーションにはまだまだ残っているのだ。

 だがその偉大な機構の多くは、文字盤の背面に隠されているので、表からは見えはしない。たとえトゥールビヨンのケージのように、機構の一部が表面にあらわになっていたとしても、コンプリケーションを知らない大多数の人には、どうということのない時計に思えることもあるだろう。

 手首に着用するというモデュロールにしばりつけられた不自由な存在であるがゆえに、腕時計は、自身のすべてを誰にでもわかりやすくさらけ出すことができない。唯一、コンプリケーションの何たるかを知る“ギフト”を与えられた人のみが、背面に隠されたドラマティックな真実を知覚できるのである。

 歯車の動きやゼンマイのほどける力によって、すべてをアナクロニックに行うことを追求した機械式時計。現在、さまざまな事象を何がなしにデジタル化しようとする圧倒的なストリームに対抗し、勝利した数少ないものの一つが、コンプリケーションだ。

 正確なカレンダーや音を立てる機能、ストップウォッチなどはすべてスマートフォンでできることではあるが、スマホをいちいちポケットから引っぱり出していたら、それは100年前の懐中時計の時代への逆戻りではないか。

 デジタルは、芳醇になり得なかった。最新鋭のテクノロジーや最新マテリアルを逆説的に駆使しつつも、結局コンプリケーションという存在は、豊満で官能的な魅力をとめどなくあふれさせているのだから。

 かつてオスカー・ワイルドは「芸術が真に映し出すのは、人生ではなくて人生を観る人間である」と述べたそうだが、コンプリケーションが真に映し出しているのは、実はスペックやらブランドやら値段やらではなくて、それを所有する“ギフト”を与えられた人間の姿なのかもしれない。

本間恵子 / KEIKO HOMMA
時計・ジュエリー専門ジャーナリスト。ジュエリーデザイナーから時計宝飾誌エディターに転身し、その後フリーランスに。バーゼルワールドやジュエリー見本市取材の常連でもあり、国内外のトレンドを経済紙、モード誌、美術誌などに寄稿している。