「すべてをわかるようにやる」では専門家はいらなくなる

 日本では医者に注文をつけることがタブーとされた時代が長く続きました。

 口を挟もうものなら「素人が何を言うんだ!」と罵倒されます。仮に術中死があったとしても、遺族は医療ミスを指摘することさえできず、そればかりか手術の労に対して医者に感謝の意を表していたのがつい数十年ほど前までの現実です。

 もちろん、これには大きな問題がありました。

 その後、私が医学部に入った1980年代から「インフォームドコンセント」の考え方が入ってきて、こんどは何をするにも患者さんに説明して合意を得ながら治療を進めるスタイルに急激にシフトしていったのです。

 専門家の仕事をブラックボックスに入れたままにするのも問題を引き起こす温床になりますが、専門家の仕事をすべて素人に説明することの限界もあります。

 一般の人にわかるように説明する責任は、どの分野の専門家にも必要でしょう。しかし、すべて説明して納得してもらったうえでことを進めていくということであれば、もはや社会に専門家はいらないのではないでしょうか。

 また、最近は医者並みの知識を持った患者さんが激増しています。その情報源はインターネットです。ただ、インターネットの情報は玉石混交です。誤った情報が氾濫し、医者が「その情報は間違っています」と指摘しても、信じてもらえないことさえあります。

 精神科でよく処方するある薬に、名称が違うだけでまったく同じ成分のものが二種類出ているものがあります。まったく同じ成分であるにもかかわらず、ネット上には「Aはこういう副作用があるけれども、Bは非常に良かった」という誤った情報が書いてあるのです。

 それを見た患者さんがBの薬を強く望むので、私は「二つはまったく同じ薬ですよ。巨人と言うかジャイアンツと言うかの違いですよ」と誤解を質します。それでも、医者は騙そうとしていて、インターネットは本当のことを書いてあると思い込んでいる人もかなりいるのです。