すると、左側にあるかつてワースト5だった地銀は最低水準の4%すれすれというところも多く、5行中4行が合併などに追い込まれて姿を消してしまったことが見て取れる。

 一方、右側にある現在のランキングに目を向けると、自己資本比率の水準が底上げされたことが分かる。この間には、規制強化によって自己資本比率の算出方法が厳格化されたにもかかわらずだ。

 不良債権と自己資本比率が結び付いた銀行のBS問題は終わりを告げ、それに伴って検査局の任務にも幕が下りたというわけだ。

“軟着陸”を狙って
行政処分発表日の争奪戦

「金融処分庁」から「金融育成庁」へ──。検査局廃止の背景には、麻生太郎・金融担当大臣と森信親・金融庁長官が打ち出してきた、そんなスローガンもある。

 金融庁は、旧大蔵省が銀行とずぶずぶの関係に陥って汚職接待問題を招いた反省が発足の出発点であり、銀行に対して厳格な姿勢を貫いてきた。その結果、不良債権退治の副作用として、銀行がリスクを取って融資をしなくなったという批判は根強い。

 さらに銀行を保守的にさせたのが、金融機関の内部管理体制の不備を指摘する行政処分のオンパレードだ。不良債権問題が収束を見せると、次の仕事とばかりに連発し始めたのだ。

 当時を知る金融庁幹部は、「あのときは本当にすごくて、1週間で3件の行政処分を下したこともある」と振り返る。また、「行政処分をソフトランディング(軟着陸)させたい担当者が、処分の発表日をめぐってゴールデンウイークの合間の日程を取り合っていた」という状況ですらあったという。