社会には「実利的」で解決できないものが圧倒的に多い

 現代は、教養よりも「知識」「情報」を重視する傾向が強まっています。
ドストエフスキーの作品を例にした場合、じっくり読む人もなかにはいるかもしれませんが、どのような作品であるかを情報として記憶し、印象的な一節だけを抜き出して都合の良い解釈を加えて知識として覚え込もうとする人が多いのではないでしょうか。

 たとえば、ドストエフスキーの言わんとしたことと現代の漫画を比較し、そこに何らかの共通点を発見する。そんな知的な喜びを得るための教養を求めるという姿勢が、現代人からはなくなってしまったのかもしれません。

 昨今の読書は、市場原理と同じように必要最小限の文字量で最大の知識を得るという方向に進みすぎていないでしょうか。

 確かにビジネスシーンでは有効な考え方かもしれませんが、一般社会には情報や知識だけで解決できない問題が山積しています。

 先の自己啓発書の著者は、国立大学で教員として教鞭を取っており、彼の講義には、医学生も数多く出席していると聞いています。

 講義に出席している医学生を友人に持つ方と話したことがあるのですが、その医学生たちは目の色を変えて夢中で本の内容について語るというのです。

 医学生である彼らは、将来損得を犠牲にしなければならない場面に必ず遭遇します。そもそも人の命を救う仕事において、自身の損得を考えて動くことは、しょせん無理な仕事なのです。

 科学的には絶対に正しいことでも、患者さんや家族がその治療を選択したくないという場面もあります。確率的に少ない可能性にかけて治療を続けなければいけない場面もあります。そのように合理的には割り切れないことで悩むこともあるはずです。

 もちろん、この著者が主張しているような資質が社会で必要であることは十分に理解できます。ただ、私から見れば、本に書かれている世界観と医者が日々向き合っている人間的な世界観とは、まったく異なる世界だと思えてなりません。それを医学生が素直に受け入れてしまうことに、大きな不安を覚えています。