麻倉・新レーベル

評論家から音楽プロデューサーに? 先生どうしちゃったんですか!

 「Ultra Art Record」(以下UAレコード)は、オーディオ評論家の潮晴男氏と麻倉怜士氏が共同で設立した「高音質音源専門のレーベル」だ。潮氏・麻倉氏が自らプロデュースを担当し、アルバムの企画から録音・ミックス・マスタリングなど、すべての工程に立ち会う。

 その第1弾作品が、情家みえさんが歌う『エトレーヌ』。ジャズのスタンダードナンバーや1950~60年代のオールデイズソングをカバーした合計11曲のアルバムとなる。レコーディングエンジニアには、過去日本プロ音楽録音賞を何度も受賞している日本コロムビアの塩沢利安氏を招聘。マスタリングはポニーキャニオンの能瀬秀二氏が担当している。

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 面白いのは、前半5曲のプロデュースを麻倉怜士氏、後半6曲のプロデュースを潮晴男氏で分担していることだ。これは将来的にアナログレコードをリリースすることを視野に入れ、A面(前半)とB面(後半)で分けられるようにするため。情家みえさんのボーカルが持つ異なる魅力を表現している。

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前半の伴奏は山本剛トリオが担当(後列中央)

 前半はアメリカンジャズスタンダードを基本にしたオーソドックスなジャズボーカルの曲で構成。山本剛氏のピアノを中心に、香川裕史氏のアコースティックベース、大隈寿男氏のドラムスを交えたトリオによる伴奏。後半は50~60年代のアメリカンポップスを中心に、後藤浩二氏がアレンジとピアノを担当。楠井五月氏のベース、山田怜氏のドラム、浜崎航氏のサックスを加えた華やかなサウンドとなっている。

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後半は中央のピアノ後藤浩二氏を中心にした編成

 ASCIIでも連載・ハイレゾ真剣勝負を連載中の麻倉怜士氏のコメントを交えながら、エトレーヌ完成までの道筋について紹介していこう。

 レーベルの発足は2017年の9月。第1弾のアルバム『エトレーヌ』は1月17日のリリースが決定している。すでに12月から、Amazonで先行予約を受け付けており、取材時点ではジャンル内のランキングで20位程度を占めているそうだ。

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 録音と編集にはProToolsを使い、192kHz/24bitのハイレゾ録音データをCD用にマスタリングしたものを、高音質CD(UHQCD)にしてリリースする。春には192kHz/24bitのハイレゾ配信も予定しているが、その場合は別途マスタリングした音源を用いるという。

本当の音を知ってないと評論家はできないでしょ?

 なぜ「聴く立場」から「作る立場」に180度転換してみようと思ったのか。まずはそのあたりから聞いていこう。

麻倉 「なぜ始めたのか。私たちは25年ほど前からCRITICSというバンドの活動をしているのですが、このバンドに一度、情家さんをお招きして共演していただいたことがあります。その時に情家さんの声の魅力や歌詞を大切にする姿勢を目の当たりにしました。そして、CDではその素材が持つ魅力を十分に引き出しきれていないと感じたんですね。これを形にしたいというのがひとつ。

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レコーディング風景

 もうひとつはオーディオ評論家は一般的に他人の作った音源を使って機器を評価しています。すでにできあがった音源を使うため、録音した現場にどんな情報があったのかを本当の意味で知っていないのです。どこまで追求すれば、音の本質に迫れるかというテーマを考えたとき、ゼロから企画を作る必要があると考えました。すべての制作工程に立ち会い、音源に本質的に知悉するのが大事なんですね。

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 今回はポニーキャニオンのスタジオを使って録音をしましたが、ミックスダウンした曲をそこに置いてあるTAD製スピーカーで再生し、聴いた音を記憶し、その差分で機器再生音の評価をする。そんな職業的な興味や倫理感が根底にあります」

 A面とB面で情家さんの声のどんな個性を引き出していこうと考えているのかについても、少し詳しく聞いてみた。

麻倉 「情家さんの声には面白さがあると思います。情感たっぷりに歌う一方で、男っぽさも感じるし、高域に色気があって、ひとつに限った音色ではない。ここに二人のプロデューサーの方向感の違いが加わったらどうなるか、ここにチャレンジしてみました。私の担当部分は、しっとりと大人のジャズをクラブでまったりと楽しむイメージ。雰囲気があり、優しさ、情感、しっとり感などを表現する。一方潮さんのほうは、20代の演奏家も入っていて、もっとはっちゃけているというか。バンド演奏で鍛えた演奏者のテクニックや進行力の強い音楽性を再現する方向感で構成しています」

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 第1弾にジャズヴォーカルを選んだ理由は何だろうか?

麻倉 「専門分野で固めたいと思いました。私が得意な音楽ジャンルはクラシックなんですが、ジャズも好きです。選んだのは音楽的なアプローチが面白く、できることが無限だと思ったからです。クラシックの場合、楽譜や作曲家が中心にあってそれをどう再現するかがポイントになります。演奏家の解釈で表現は変わりますが、ベートーベンの曲はベートーベンなんですね。しかしジャズの場合、選曲・編曲・即興といったクリエイティブな部分がすべて演奏者に委ねられています」

アーティスト全員が集まり、なるべくワンテイクで録る

 エトレーヌの制作にあたって重視したのは「スタジオの熱気を加工せず、カプセル化して届けること」(麻倉氏)。UAレコードはレーベルの方針としてカット編集をしない「ワンテイク録音」(一発録り)にこだわっている。録音後も、基本的に素材を加工せず、最小限にとどめる。「やってもエコーをほんのわずかに加えたりする程度だ」という。

麻倉 「クラシックの録音などではカット編集の手法が良く取られます。一度通しで演奏して、不十分な部分を後から録りなおして編集素材として入れ替えるんですね。これはライブとは対極的な考え方です。完璧な演奏に近づくけれど、ライブならではのノリや流れなどは薄まってしまいます」

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 通常の音源では、ボーカルを強く聴きやすくするため、コンプ処理をかけ、音圧を上げていることが多いが、「あるがままの音を届けたい」という考えから、こうした音圧競争には参加せず、エフェクト処理は最小限に抑えた。高音・低域の足し引きやダイナミックレンジの調整などもしていないそうだ。

麻倉 「こだわりは最初にいい演奏をして、いいエンジニアがそれを仕上げ、マスタリングなどの加工をなるべくしないでリリースする点。マグロを釣ったその場で冷凍するので鮮度が違う。そんなイメージです」

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 また、最近ではコストや手間の関係で、演奏者ごとに異なる時間や場所で別録りした音源を組み合わせて曲に仕上げるケースも多いそうだが、スタジオに全員が集まった同時演奏にこだわっている。録音時にはポニーキャニオンのスタジオに2日間こもり、ミックスダウンの一曲に3時間以上の時間を掛けて、作成したそうだ。十数本立てたマイクを自在に操り、ミキサーの微細な調整を経てミックスダウンする塩沢氏の手腕には非常に感心したと話す。

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 録音に際しては、30インチと大型のバスドラムをレンタルしてきたそうだ。実際に聴いてみると、沈み込むバスドラムのローエンド、あるいはブリブリと鳴らすベースの質感などオーディオ的な意味でも気になる録音となっている。

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30インチのバスドラム(左)と普通のバスドラム(右)
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低域の量感や再現性も聴きどころだ
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アルバムジャケットの制作一つとっても試行錯誤の結果。採用されたのは上段中央だが、色調を変えたものを複数用意して決めた

UHQCD盤のリリースに合わせて最適なEQを再検討

 もちろん音楽だけでなく、音としての完成度にも注意を払っている。

 CD盤が使用する「UHQCD」は、大手レーベルの採用例も増えている最新の高音質CDだ。CDでは盤面にレーザーを当てて読み取る信号を読み取るために、小さな穴(ピット)を打ち込むが、これまでの製造方法や材料では、その型になるスタンパーの凹凸を完全伝えることができなかった。そこで、スタンパーと土台となるポリカーボネートの間に、流動性の高いフォトポリマーという素材を流し込むようにした。フォトポリマーは通常は液体。スタンパーの微細な溝まで素材を流し込める。これに光を当てると硬化する。結果細かいピットまで精度よく転写できるという理屈だ。

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 またUHQCDでリリースするにあたって「最適なマスタリングは何か」も議論したという。開発元のメモリーテックからの提案もあり、EQで高域を強調したAカーブ、低域を強調したBカーブ、フラットな特性のCカーブの3種類を試作した。一般的なCDではAカーブを利用することが多いそうだが、試聴したところ関係者全員一致でCカーブが一番優れているという結論に至ったという。

 UHQCDは帯域が伸びて、ダイナミックレンジが広いので、CDに比べて音の加工がそのまま強調されやすい。素材の特徴をそのまま生かすことが重要で、逆に下手に調整してはいい効果が出ない点が分かったという。なお、リリース予定のUHQCDについては、イベントや視聴会でも何度かデモしているが、来場者に聞いた場合でもCカーブが選ばれる場合が圧倒的に多いのだという。

麻倉 「もちろんオーディオ的な側面にも力を入れています。ただ、世の中に出回っているオーディオ用のチェックCDというと、音の部分だけにフォーカスが当たりすぎているきらいがあります。まず音楽が良くて感動する。その上で音を聴いても感動する。こういう二重の感動が得られる点を重視していきたいと思いますね」

話題のMQA版の投入にも意欲満々

 エトレーヌは通常のハイレゾ配信に加えて、MQA版のリリースも検討中だという。MQA版を制作するためには、音源をMQAに渡してエンコードしてもらう必要があるが、すでに完了しているとのこと。176.4MHz/24bitをMQAでエンコードした音源さえあれば、あとの工程はCDを作るのと変わらないため、MQA-CDの制作にも興味があるという。

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MQA音源を再生してみた

 取材では麻倉氏自宅の試聴室で、FLACとMQAの違いを聞き比べさせてもらった。192kHz/24bitの音源とは異なり、付帯音が減ってきれいに整えられたというか、音の動きがより明確に伝わってくる印象があった。CD、MQA、FLACで異なる印象を感じさせ、好みも出てくると思うので、聴き比べてみるのも面白いかもしれない。

 ちなみに麻倉氏はMQA版の音源を制作している途中で、面白いことに気付いたという。

 ちょっと補足が必要だが、MQA音源はMQAデコードに非対応のDACやCDプレーヤーとの互換性も配慮されている。こうしたプレーヤーでMQAの音源を再生した場合には48kHz/24bit(MQA-CDの場合は44.1kHz/16bit)のリニアPCMデータとして認識される。さらにMQAデコードに対応したプレーヤーを使えば、音楽の折り紙をほどいてさらに96kHzや192kHz(MQA-CDの場合は88.2kHzや176.4kHz)のデータにデコードされるのだ。

 つまりMQA-CD用にエンコードしたトラックを通常のCDプレーヤーでかけた場合、通常のCDと同じ44.1kHz/16bitのCD-DAトラックとして認識される。しかし普通に44.1kHz/16bitで制作したトラックとは違っていて、器の大きさは同じでも聞き比べると音に違いが出るという。

 CD-Rに焼いた音源をOPPOのBDプレーヤー(MQA非対応の機種)に掛けて再生してもらったが、確かに打楽器の立ち上がりの良さであったり、ベースなどの見通しの良さ、ハイハットやスネアのざわつきの少なさなどに差があった。

 麻倉氏の考えでは、MQAには時間軸に対して正確な再生を行うため、A/D変換時、音の前後に発生するリンギングノイズなどを除去する処理(Deburring)を加えている。「その効果がCDプロパーとしても出ているのではないか」とのことだった。

アナログ盤は幅2インチのオープンリールで録音したマスターを使用

 エトレーヌの録音ではProToolsを使ったデジタル録音と並行して、ポニーキャニオンのスタジオにあったスチューダ―の「STUDER A-800」を使用したアナログ録音も並行して実施している。時期などは未定だが、将来的にアナログ盤をリリースしたり、このマスターテープからDSD化した11.2MHz音源の配信なども実現したいという。

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 STUDER A-800は、毎秒76cmの速度で、幅2インチのテープに最大24トラックを収録できる。オープンリールのテープは幅1/4インチのものが主流で、2インチのテープは入手自体が困難だ。潮氏は音響監督をしていた経歴がある。のつてをたどって一度使用した中古のテープを仕入れ、これに上書きしたという。

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 最近ではアナログ盤の復興が進んでいるが、市場に出回っている音源のほとんどはD to A。つまりデジタル録音したものをアナログ変換し、レコードにカッティングしていくのが主流だ。しかし「アナログレコードはやはり、アナログで録って、アナログで編集して、アナログで切るのが本来の姿」という麻倉と潮氏のこだわりがある。

 ただし「言うは易し」。アナログ盤を制作する際には、このマスターテープを利用するが、アナログ編集のためには同じオープンリールデッキをもう1台用意する必要がある。デジタル編集と比べて、膨大な手間とコストがかかるわけだ。しかし、UHDCD盤の販売が好調であればぜひやりたいという。

『エトレーヌ』(ジャズヴォーカル・アルバム)

収録曲:
1. Cheek To Cheek/チーク・トゥ・チーク
2. Moon River/ムーン・リバー
3. I Can't Give You Anything but Love/アイ・キャント・ギブ・ユーエニシング
4. Fly Me To The Moon/フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン
5. You Don't Know Me/ユー・ドント・ノウ・ミー

ボーカル/情家みえ、ピアノ/山本剛、ベース/香川裕史、ドラム/大隅寿男

6)Lipstick On Your Collar/カラーに口紅
7)Sunny/サニー
8)Caravan/キャラバン
9)Can't take my eyes off you/君の瞳に恋して
10) Still Crazy After All These Years/スティル・クレイジー・アフター・オール・ディーズ・イヤーズ
11)Waltz for Debby/ワルツ・フォー・デビー

ボーカル/情家みえ、ピアノ/後藤浩二、ベース/楠井五月、ドラム/山田怜、サックス/浜崎航

情家みえ・アーティスト情報

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情家みえ

 愛媛県宇和島市出身。幼少時に父親の影響で音楽に親しむ。6歳よりピアノを始めると同時に、歌唱にも興味を抱き、声楽のレッスンを受ける。大学では幼児教育を専攻しクラシック音楽を学ぶが、間もなくジャズと出会い、徳島県内のホテルやクラブでジャズを歌い始める。大学卒業後、上京。南青山の老舗ジャズクラブBODY&SOUL でスタッフとして勤務。ヴォーカリスト伊藤君子に師事。デビュー。ピアニスト山本剛のライブレコーディングにも参加。現在、南青山BODY&SOUL ・代々木NARU ・六本木ALFIE を中心に都内および全国のジャズクラブにて活動中。