間違っていないが、やり方が悪かった――。
旧“竹原派”市議が語る独裁政治の功罪

「竹原さんがやろうとしたことは、今でも間違っていないと思うが、やり方が荒っぽかった。もっと丁寧なやり方で、合意点を探るべきだったと思う。ただ、ポピュリズムと言われるのは不本意。事実を公開しただけで、(市民の怒りを)煽ったつもりはありません」

 こう振り返るのは、鹿児島県阿久根市の松元薫久市議。35歳の若手市議で、「官民格差の是正」を掲げ、市職員と反対派議員を徹底攻撃した竹原信一・前市長派(4人)のメンバーだった。

 現在、議会内に「竹原派」というもの自体がなくなったと語る。そして、新しい市長とは是々非々の関係で、議員間の話し合いもできるように変わったと明かす。

 日本の地方自治のあり方を根底から揺さぶる挙に出たのが、阿久根市の竹原前市長だった。「問答無用」と議会を招集せず、専決処分で職員賞与を半減するなど「一刀両断」の政治手法をとり続けた。

 地方自治法を無視する行為ながらも、一部の市民から熱烈な支持を集め、他の地域からも「あれぐらいやらなければだめだ」と評価する声さえ上がった。

 そうした背景に政治や行政、公務員や議員への不信があった。また、地域経済の疲弊による貧困化が進む中で、公務員だけがいい思いをしているとの不満があった。

 充満していた不満のガスに火をつけたのが、竹原氏だった。市長初当選後、市職員の給与明細をHPに公開し、職員の6割が年収600万以上という高給ぶりを知らしめた。

 支持者は市職員給与に大ナタを振う「問答無用」の改革に拍手喝采した。溜飲が下がる思いで見ていたのであろう。彼らの熱い視線を浴びる竹原氏は、『独裁者』というタイトルの著書まで出版し、「ルールを守れ」との批判を一蹴した。