どんな職場にも、自分と考えが一致しなかったり、やりにくいと感じたりする相手がいるはずだ。そんなとき、あなたはどうするだろうか。関係の悪化を恐れて相手の意見を聞き流したり、同僚に愚痴をこぼしたりしてはいないだろうか。そうした行為は、会社にも、仕事にも、自分自身にも不利益をもたらすと筆者は言う。本記事では、意見の不一致がもたらすメリットを明らかにしたうえで、自信を持って反論できる自分に変わるための4つのアプローチが示される。


 私が経営コンサルタントとして働いていた頃、扱いにくいと感じていたクライアントがいた。ここではマルグリットと呼ぼう。

 彼女と私は、ほとんど意見が一致しなかった。彼女がプロジェクトを進める方向性にも、参加を呼びかけた面々にも、仕事を進めるペースにも、私は反対だった(どうして、あんなにゆっくりやらないといけないの?)。

 とはいえ、マルグリットはクライアントだ。しかも、私はほぼ駆け出しである。公然と反対意見をぶつけるような立場にはないと思っていた。

 代わりに私は、彼女から来たメールすべてを同僚に転送しては、不満を言っていた。マルグリットの判断がいかに間違っているか、私の提案(いまにして思えば、あまり明快でなく、慇懃無礼でしかなかった提案)にいかに耳を傾けないか、を書きつらねていた。

 ある日私は、うっかり返信ボタンを押してしまった。いつものようにメールを転送して同僚にグチをこぼすつもりが、マルグリットにどんなに困らされているかを述べたメールを、本人に送ってしまったのだ。

 返信ボタンを押して約15秒後、私は自分のしたことに気づき、「これはクビだ」と思った。どうせならさっさと終わらせたほうがいいと考え、上司のデスクへ行き、自分のしでかしたことを打ち明けた。驚いたことに、上司は怒ることも荷物をまとめろと脅すこともしなかった。彼はただ、「謝ってこい」と言った。

 マルグリットのオフィスは、マンハッタンにあった私の勤め先から30ブロックほど北のミッドタウンにあった。上司は、途中で花屋に寄るよう提案した。マルグリットに会って自分の失敗を直視するくらいなら、クビになったほうがマシなのではないか。そんな思いもよぎったが、結局、上司は正しかった。場違いなほど大きな花束を持ってマルグリットのオフィスに現れた私を見て、彼女は笑い出した。

 彼女は大人だった。意見の違いは必ずあるものだから、今度意見が違うことがあったら直接言ってほしい、そうすれば話し合えるから、と私に言った。それは、寛大かつ有益なアドバイスだった。

 マルグリットとの一件は、ひとえに私の経験不足が原因だと思いたい。だがその後、仕事上の対立に関する研究や面談調査でわかってきたのは、たいていの人が異論を口にしたがらず、そもそも異論を述べる方法を知らないということだった。実のところ、「私の意見は違います」とか「私は反対だ」といった発言を、私たちは怒りや無作法、冷たさと同じだととらえるようになっている。そのため、意見の不一致に対して、多くの人がとても不安を覚えるのである。

 少なくとも短期的には、人の意見に賛成するほうが反対するよりも容易だ。自分の発言に誰かがうなずいてくれたり、「私もまったく同感です」と認めてくれたりすれば、気分もいい。

 それは、私がマルグリットに期待したことだった。そして私は、彼女の考え方が自分とは異なるのを認めることができず、彼女に「扱いにくい」というレッテルを貼ってしまった。これは間違いだった。あとで私が恥をかいたから、というだけではない。レッテルを貼ることで私は、仕事上の生産的な関係を築くことに失敗したのである。もし私が堂々と、敬意をもって、マルグリットに反対意見をぶつけていたら、プロジェクトがどれほどよくなったか考えてみてほしい。

 意見の不一致は、人との付き合いにおいて必然的に生じる、正常かつ健全な事柄である。衝突のない仕事環境などない。平和なユートピアで働くことを夢見る人もいるかもしれないが、それは、あなたの会社にも、あなたの仕事にも、あなた自身にもマイナスだろう。

 実際には、意見の不一致は、うまく対処すれば多くのポジティブな結果をもたらす。いくつか挙げてみよう。