誰でも道に迷うことはある。実際迷いやすい街もある。少しずつ曲がっていて、方角がわからなくなるような道や、似たような風景がたくさんある場所は迷いやすい。

 しかし、迷子になりやすい人となりにくい人がいる。「迷子になった」が口癖の人が思い浮かぶはずだ。旅行に行って、集合場所に遅れてくる人はたいてい決まっている。遅れてきて、まず言い訳と文句が始まる。丁寧に他人に尋ねれば正解もわかるのに、その場で困った顔をしているだけの時間が長い。言い訳など聞きたくないのに大きな声でいつまでも語っている。その瞬間に「美人のもと」が減っていくことも知らずに。迷子が習慣化している人はたいていそれが確認できる。

 美人は迷子になりにくいという話は本当なのではないかと思う。何が違うのか。それは自分を客観視することが上手であるからではないか。当然見知らぬ場所でも自分の位置を客観視することを心がける。地図に苦手意識があっても、自分がどこにいてどう動いているかを考えている。客観視は「美人のもと」を育てると同時に迷子のリスクから救ってくれる。

 さて、Facebookやツイッターなどソーシャルサイトでも同じようなことが見られる。実社会とは違ったつながりや話題の共有は楽しい。なかなか言えないこともインターネット経由だと発言でき、それが新しいつながりにもなっていく。場所や時間などをあまり気にしないでコミュニケーションできる気軽さもうれしい。

 その反面リスクも大きい。時間と場所を気にしないことが迷子をつくってしまうのだ。ソーシャルサイトには迷子のような人が結構いる。あちこちで文句を言い、無視されたら大きな声で泣き始める。居場所がわからなくなって泣く。話の流れに逆らって泣く。そして、すごい勢いで自分の写真を掲載していく。迷子というより迷い犬のようだ。その犬写真を見ると迷子になりやすい人と共通している。

 そこはひとつのソーシャルである。パーソナルではない。自分の主張を繰り返すだけではそこでも他人は避けていくはずだ。場の空気や流れもきちんと把握する。その中での自分の位置づけを理解し、場に存在する。実態が見えにくいバーチャル社会ではより自分を客観視する必要がある。それは日常の迷子回避にも繋がっていく。