不安のなかでどのような人生観を持つか

 東京大学地震研究所の発表は、日本人に多くのことを示唆していると思います。

「病気になって初めて健康の有難味を知る」というように、本来、やっかいな問題がいつ起こるかわからないのに、ほとんどの人はそれを意識しないで生活しています。そこで、実際に事故や不幸に遭遇した人の多くは「まさか自分が」と口を揃えます。

 しかし、自分だけには起こらないだろうと思う「まさか」が起こってしまうのが現実です。この現実に対し、ないものだと自己暗示をかけて考えない人もいれば、不安をまともに感じて、日々苦しんでしまう人もいます。

 事故や災害であれば、何らかの方策を講じることで一定の被害を抑えることはできるかもしれません。それでも、すべてを完全に防ぐことは不可能です。自分の歩いている板が薄いこと、あと10歩歩けば板が割れることがわかっていながら元気に歩いていけるほど、人間はタフではありません。

 科学の進歩によって、将来のことが否応なく予知できる時代になりました。前向きなことはともかく、後ろ向きの現実も予知できてしまいます。そこに不安も生じることになります。

 この新たな不安から完全に逃れることはできません。

 現代は、これから起こるかもしれない不安を抱えたまま、どのように日々を生きるか考えなければならない局面に入ったのではないでしょうか。ないことにするのでもなく、敏感に意識するのでもない。人は、不安があるなかで自分なりの人生観を持つという新しいテーマが与えられているのだと思います。

「4年以内にマグニチュード7の地震が70パーセントの確率で起こる可能性」というような問題を、どう解釈したらいいのでしょうか。統計学的な解釈ではなく、人の認知の問題として考えた場合、正解のない問いではないでしょうか。

 また解釈の仕方やそれによる行動の変化は、人それぞれでしょう。気にしない人もいれば、敏感に反応する人もいます。このように、解釈の仕方が違う人同士が、どのように違いを違いとして受け止めて共存していくのかという課題も突きつけられているような気がします。