2014年「新・風土記」出雲大社奉納、2015年「天地の守護獣」大英博物館日本館永久展示、「遺跡の門番」クリスティーズに出品・落札。2016年「The Origin of Life」4ワールドトレードセンター常設展示…。競争が激しいアートの世界で、なぜ、いま小松美羽が評価を集めているのか? その理由を、著書『世界のなかで自分の役割を見つけること』の内容からお伝えしていく。(初出:2018年3月30日)

「誰かがいつか認めてくれる」では時間がかかりすぎる――世界のなかで自分の役割を見つけること【書籍オンライン編集部セレクション】
「誰かがいつか認めてくれる」では時間がかかりすぎる――世界のなかで自分の役割を見つけること【書籍オンライン編集部セレクション】小松美羽(こまつ・みわ)
現代アーティスト
1984年、長野県坂城町生まれ。銅版画やアクリル画、焼き物への絵付けなど幅広い制作スタイルから、死とそれを取り巻く神々、神獣、もののけを力強く表現している。2014年、出雲大社へ「新・風土記」を奉納。2015年、「天地の守護獣」の大英博物館日本館永久展示が決まる。2016年より「The Origin of Life」が4ワールドトレードセンターに常設展示される。2017年には、劇中画を手掛けた映画「花戦さ」が公開されたほか、SONY「Xperia」のテレビコマーシャルに出演。

牙がある画家になる

「もっと上がある。認めてもらうには、行かなきゃいけない世界がある!」

 クリスティーズで刺激を受けた私は、ニューヨークのアート強化合宿を思い出し、改めて決意していた。世界で戦おうと。

 ニューヨークで、相手にされなかった100軒のギャラリー。

 あのときはくたくたに疲れていたけれど、ホテルに戻っても眠れなかった。時差ボケではなくて、悔しかったのだ。

 真夜中、ベッドの上に鉛筆やペンをぶちまけて、スケッチブックに描き殴った。シーツをグシャグシャにしても気持ちは抑えられなかった。一人になると、より心に染み込むパンチ。

 戦って負けたからじゃない。戦うことすらできない自分が悔しかった。本当の悔しさを味わいたいと、強く思った。

 そこであきらめて長野に帰る道もあった。逃げ道のほうが多いのが人生だし、逃げたって生きていける。でも、私は絶対に逃げたくなかった。

「悔しい気持ちにさせてくれてありがとう、ニューヨーク。私はそんなにやわじゃない。もっと悔しい思いをしたい! もっと! もっと! もっと!」

 それから3年。たくさんの経験をした私は、それでもまだまだこれから。

 世界のアートシーンの第一線で戦える画家になりたいと本気で思っている。こういう話をすると、ドン引きされることがある。

「小松さんって、見えない世界を描くアーティストでしょう。それなのに世界で戦うとか、億単位の画家がいる上の世界に行きたいとかって、なんだか……」

 たぶん、画家について、清貧みたいなイメージがあるから出る意見だと思う。

「お金や成功なんて考えず、貧乏に純粋に絵を描き続けるのが画家だ」と。

 確かにゴッホは死ぬまで貧乏で37歳でこの世を去り、有名になったのは死んだあとだ。

 モディリアーニも生活は苦しく、35歳で病死した。

 しかしゴッホは1890年、モディリアーニは1920年に死んだ人だ。アートとは時代の最先端を切り開いていくもので、だから未来まで残って文化になる。

 それなのに、なぜ21世紀に生きている私が100年前の人と同じやり方をしなければいけないのだろう。

 やりたいことを世界で発信するには、「誰かがいつか認めてくれる」という生半可な覚悟では、時間がかかりすぎる。いや、時間をかけても無理だろう。

 私は有名になりたいのではないし、お金が欲しいわけでもない。

 ただ、できる限り多くの人に、魂の成長という生き方を知ってほしい。人も動物も一切の差別のない世界を感じてほしい。神獣を通して、絵を見てくださるみなさんを、普通では見えない世界、神々の世界とつなげることが私の役割である。

 自分の役割をまっとうしたいから、私の絵を見てもらいたいのだ。

 その気持ちは最初から変わらない。そのために、できる限り多くの人に、私の絵を見てもらいたいのだ。

 それには展覧会やアートフェアなど、人の目に触れる場所に作品を展示してもらうチャンスが必要で、そのチャンスをたくさん得るには、世界の第一線のアート市場に出て行くのが一番だと思っている。

「今は市場に関係なく、一人で何かつくってウェブでデビューできる」という風潮もあるらしいけれど、一点ものの作品であるアートは、ウェブの動画や画像、印刷物では伝えきれない。

 実物を見てこそ感じるものがあるはずだ。絵のエネルギーに直に接してこそ魂が震えるはずだ。