誰の役にも立たぬということは、はっきり言って何の価値もないということである――、デカルトの『方法序説』にある、とてもシビアな一言。
 
 

 先週木曜日の夜、友人と会った。

 駅の構内にあるコーヒーショップで待ち合わせたのだが、あいにくと店内は仕事帰りのビジネスマンでいっぱい。やむなく店の前で友人を待っていたところ、私の横にブレザー姿の高校生が立った。彼も待ち合わせらしい。

 ちら、ちらと周囲を見て、相手がまだ来ないとわかると、おもむろに携帯電話を取り出していじり始めた。

 ズボンを腰骨の辺りまでずり下ろした着こなしは、私のような年代からすれば“抜け作”にしか見えないのだが、いまの若い子たちにはそれがかっちょいいのだろう。いわゆる、いまどきの子だ。

 彼はときおり顔をあげて、何故か私のほうを見る。

 男に見つめられたって嬉しくも何ともないのだが、彼は、何か言いたげな目をしていた。おそらくは、なぁおっさん、人のケータイをじろじろ見るなよ。とでも言いたかったのだろう。だって面白そうだったんだもの、そのゲーム。覗いてたのか、とツッコまないよーに。

 それなりに混んでいる電車に乗っているときも、車内でメールを打っている人にかなりの頻度で出くわす。それが私の位置から丸見えだったりすると、時間潰しに文章を全部読ませてもらう。特に、私に背を向けたかたちで立っている人などは肩越しに。

 たいがいの人は、見られていることに気づかないね。

 絵文字顔文字てんこ盛りで、わーい、ありがとー。もうすぐ着くから待っててね。いま××過ぎたとこ。なんて文言を見ると、こいつ、こんな顔してるくせにカノジョにはこんなメール送ってるのか――、と思ったりしますが、人に読まれるのが恥ずかしければ、人前でメールなんか打たなければいいだけのこと。

 というか、背後に人が立っていて、ともすればメールの内容を見られるかもしれないのに、それに気づいていないとすれば無防備このうえなく、その人は“隙だらけ”ということです。

 言うなれば、マル秘もしくは社外秘と判を押した書類を堂々と車内で広げているようなもの。以前、本当にそういう人を見かけたことがあって、私なんかわざわざ隣りに座って覗き込んだことがあるもの。むふふ。