「代えがきかない人になる」ことは
必ずしも良い面ばかりではない

 かつて、先輩の精神科医に言われたことがいまも記憶に残っています。
同じ病院に勤務していた精神科医のA医師は、彼の個人的な魅力が患者さんの治療に大きく作用していました。

 周囲の医師たちがもう就業は不可能だろうと見ていた患者さんを再び会社に行ける状態に導いたのも、入院生活をするしか方法がないと思われていた患者さんが自宅に帰れるまで回復したのも、A医師のたぐいまれなる尽力によるものでした。

 若く経験の浅かった私は、少しでもA医師のようになりたいと、彼の仕事ぶりを尊敬の眼差しで見ていました。そして、ほかの誰もがA医師を尊敬しているものとばかり思い込んでいました。しかし、あるとき先輩医師にこう言われたのです。

「A医師のやり方は、そんなに褒められたものではない」

 耳を疑いました。あんなに素晴らしい成果を上げているA医師を批判するなど、当時の私には思いもよらないことだったのです。患者さんも慕うA医師の実績に嫉妬するあまりのひと言ではないかとも勘ぐりさえしたものです。先輩医師はこう続けます。

「医者だって自分がいつ病気になって診察ができなくなるかわからないし、異動することだってある。永遠にA医師が患者さんを見られるわけじゃないでしょ。それなのに、ほかの人で代えがきかないような治療をするA医師の医療は、私は決して理想的な医療だとは思わない」

 これを聞いて私もはっとしました。人間の価値観には「代えがきかない人になる」ことが素晴らしいと思う傾向が強くあります。しかし、こと仕事に関しては「代えがきかないこと」がよいこととも限らないと思うようになりました。

 確かに、職人やアーティスト、スポーツ選手などの世界では、貴重な存在として評価されるでしょう。そうだとしても、特にチームスポーツでは、スター選手がいなくなったら成り立たないというチームはチームとして脆弱と言わざるを得ません。それでは、組織やチームの力が弱いということになってしまうからです。