すべての人に通用する方法論などない

 アメリカの場合、誤った手法に基づくケアを受けたから悪い結果になったなどと訴訟問題に発展する可能性が非常に高くなります。それを避けるためには、ある一定のマニュアルを作る必要があるのでしょう。マニュアルに忠実な行動をとったという言い訳が訴訟リスクを下げるのです。

 私が主張するような臨機応変な対応によって、アメリカではむしろ莫大な損害賠償を抱えてしまう可能性は否定できません。しかし、果たしてそれでこころの通ったケアができるのでしょうか。

 日本でも、あらゆる人に通用する方法論を求めすぎているように感じられます。

 そもそも、すべての人に共通する方法論などあるのでしょうか。人によって、ある方法論が良い場合もあれば、良くないこともあると思います。

 診察室でも、多くの話を聞き出したほうがいい患者さんもいれば、何も聞かないほうがいい患者さんもいます。同じ患者さんでも、状況によって対応を変えなければならないケースは日常的に起こっています。それを見極めるには何回かおつきあいしなければならないと思います。対応を変えて相手の反応を見たうえでなければ、正しい判断は下せないと思っています。

 臨機応変。バランスをとる。こうした方法論は今や見向きもされません。

 これさえやれば治る、これさえやれば成長する、これさえやればうまくいく。その人に合っているかどうかわからないのに、極端な方法論しか受け入れられません。そしてその方法論は、やがて正反対の方向にある極端へと振れていきます。結局のところ、何を求めているのかわからないという釈然としない思いだけが残ってしまうのです。