ダンディーは不断に、崇高なることへの希求を保ち続けねばならない。鏡を前にして生き、かつ眠らなければならぬ――、シャルル・ボードレーヌの『内心の日記』より
 

 少し前まで、毎週のように草野球をやっていた。暇人とか言うな。

 若いころもさんざんやっていたのだが、二十代の後半、そろそろ勝負に出ないとモノ書きとして生き残れないかも。

 と不安を抱き、いっさいの趣味を封印して文章修業に勤しんだ時期がある。

 取材に行ってもまともなネタを拾ってくることができず、原稿を書けばダメ出しやり直し書き直し。ついでにボツの連続で、自分のぼんくらぶりにもいい加減うんざりしていた。

 本当にうんざりしてたな私。取材を終えて編集部に戻ると、担当は何も言わんでいいと言ったくらい。面白いね日本語って、言うなと言うなんて。

「何も言うな。そのツラ見りゃわかる。どーせ坊主だったんだろう」

 坊主というのは何のネタも拾えなかったというギョーカイ用語です。釣果がないことを坊主と言いますが、それと同じ意味です。坊主のくせに長髪でしたが。

「お前、もう帰っていいぞ。ここにいたってすることねえだろーし。それからな、明日から来なくていい。うちはぼんくらは要らねえんだ」

 毎週〆切のたんびにこんなことを言われてました。実話だから情けない。

 だから毎週のようにトイレに駆け込んでは泣いていたものだけど、いいんだぜ男が泣いたって。悔し涙の数だけ男は大きくなるんだよ。いまは越えられない山を越えたとき、そのときはもう泣くこともないのさ。なんてね。

 ひとしきり泣いたあと、何もなかったかのような顔で編集室に戻ると、今度は編集者や先輩記者が校了するまで部屋の隅っこでおとなしくしてました。編集作業はだいたい明け方には終わり、みんな充血させた目を擦りながら引き上げていくのですが、先輩方が引き上げたあとで私は編集部の掃除をしてたんです。

 そのために、先輩方の仕事が終わるのを待っていた。本当は出版社が契約している清掃会社の人がやってくれるのですが、ぼんくらなりに何かやっておかないと……、と思い、そーやってごまをすっていたわけです。