「ありがとうございます。でも、またきます」

 気を遣って「電気窯を買えばいい」と言ってくださった職人さんにお礼を言ってその日は失礼した。

 それから何度か佐賀に足を運び、絵付けをした。そのうちに、窯元のみなさんとも、だんだん仲良くなることができた。打ち解けるうちに、型師の息子さんが教えてくれた。

 「本当は父も、嬉しいところがあるんですよ。小松さんの狛犬みたいな複雑な芸術品をつくれる技術があるのに、普通の仕事ではなかなか発揮できないでしょう。腕をもてあましていたから、実は楽しくつくっていたんですよ」

 絵付けしながら、そんな話を聞いたら、もうだめだ。

 「やっぱり大将に会いたいです。立体にしてもらったお礼を言わせてください」

 息子さんの話を聞いてからすぐに、間に入って仕事を進めてくれていた有田窯元の職人さんに頼み込み、お菓子屋さんでケーキを買い、いきなり大将のおうちに行った。引き戸をがらがらっと開け、「小松です! 無理なお願いをして、すみませんでした、怒っますよね?」と頭を下げた。

 テレビを見てくつろいでいたら、不意打ちでやってきた私に大将は驚いていた。私もちょっと困りつつ、「ケーキです」と箱を突き出した。

 その後も絵付けのために佐賀に通い、ようやく「天地の守護獣」が完成した。あとの展開は、思いもよらないものだった。

 「EDO NO NIWA」はチェルシーフラワーショーのゴールドメダルを獲得し、「天地の守護獣」は大英博物館に所蔵されることに決まったのだから。あの子たちには、狛犬さんとともに、大将をはじめとする有田の職人さんたちの祈りも宿っていたことは間違いない。

 大英博物館をきっかけに「狛犬を見たい」「狛犬展をぜひ」というオファーも増え、私はその後も有田で狛犬の制作を続けた。窯元さんにお邪魔して絵付けをしていると、これまでは交流したことがなかった無口な職人さんたちも声をかけてくれた。

 「大英博物館が決まったことで、有田製窯ここにあり、って思えたよ。何十年も何十年も同じ仕事を続けてきて、世界とつながれた。孫に自慢ができるよ。大量生産に押されているけれど、有田焼はまだこれからだ」

 80歳になる職人さんが嬉しそうに話してくれて、私はそれが嬉しくて泣いてしまった。大将もぽつんと、「本当は、難しい仕事をもらえて嬉しかった」と言ってくださった。

 信頼は、やはり現地で生まれるものなのだろう。

 2016年には有田でも伝統のある柿右衛門窯を訪れ、光栄なことに、先祖代々伝わる獅子の型に、やはり代々伝わる赤絵で絵付けをさせていただいた。大和力でつくられ、今も存在感を放つ有田焼との出会いは、「本物の素材」との出会いだった。