第一章

 森嶋は定時に役所を出て、渋谷に向かった。

 駅近くの喫茶店に入って部屋の中を見渡すと、奥の席で女性が本を読んでいる。

 森嶋がその横に立つと、女性が顔を上げてほほ笑んだ。細川優美子、森嶋と同期の財務省のキャリア官僚だ。

 大学は同じだが、大学時代の接点はなかった。森嶋は経済学部。優美子は法学部出身だ。昔、優美子に「官僚になるのに、なぜ法学部ではなく経済学部に進んだの」と聞かれたことがある。「金持ちになりたかったんだ」と答えると、優美子は笑い出して、しばらく止まらなかった。

 森嶋より1年前にハーバード大学に留学して帰国している。

「財務省でも定時に帰れることがあるんだ」

「1週間も前からそのために準備してたのよ。あなたも定時に役所を出られるのは今のうちだけよ」

「日本の役所と企業の悪い癖だ。役所にいればいいってもんでもないだろう。仕事は、もっと合理的にやるべきだ」

「2年ぶりね。すれ違いだったから。配属は決まったの」

「まだだ。一応、前の総合政策局政策課に入っているが、近いうちに異動になる。希望は出しているんだけどね」

「国土計画局に行きなさいよ。総合計画課なんて面白そうよ。仕事は楽そうだし」

「でも、この時期の留学は運が悪かった。2年留守にすると日本自体も日本を取り巻く状況もかなり変わった」

「どうしたのよ。いつも楽観的で前向きなシン君が」

「今日、ポカをしてね。課長補佐からヘンな目で見られた」

 森嶋は昨夜からのことを話した。

 優美子は真剣な表情で聞いている。

「地震の確率は、正式な発表じゃないんでしょ。だったら、上に上げたのはまずかった。ここはアメリカとは違うのよ」

 たしかにここはアメリカとは違う。突飛で軽率な奴と思われても仕方がない。