「週刊ダイヤモンド」2018年4月7日号の第1特集は「1億総転落 新・階級社会」。フリーターの第一世代は50歳を優に超えた。就職氷河期に正社員になれなかった新卒学生の“受け皿”ともなったフリーター。その産みの親である、リクルートのアルバイト情報誌『フロム・エー』の初代編集長に、フリーターが生まれた経緯や時代背景について聞いた。

『フロム・エー』に
込められた意味

「フリーター」はいつから負のイメージを帯びたのか、“産みの親”が語るみちした・ひろし/1969年、日本リクルートセンター(現リクルート)に入社。社内の企画コンペに提出したアイディアが経営陣の目に止まり、82年にアルバイト情報誌『フロム・エー』を創刊。初代編集長へ就任し、フリーターの産みの親となる。87年に映画『フリーター』をプロデュース。その後、『ガテン』『じゃマール』などの創刊にも携わった Photo by Hiroyuki Oya

──道下さんがフリーターという言葉を最初に使ったのはいつ頃のことですか。

 私が、アルバイト情報誌『フロム・エー』の編集長になってから3年目、1985年のことです。

 リクルートには事業の提案制度がありました。毎年、コンペがあってグランプリになると100万円の賞金がもらえるのです。賞金狙いでいろんな企画を出したものです。このコンペで上位に入った企画が経営会議でゴーサインになると、新規事業としてスタートするのです。当時、私もまだ30代そこそこでしたし、審査する役員も40代が多く、若かったですね。

 その中の一つが、『フロム・エー』事業の提案でした。アルバイト、パートやフリーランス契約、つまり非正規雇用を対象にした情報雑誌を立ち上げようというものでした。

 コンペの結果は、準グランプリでした。ほとんどの役員が90点など高得点を付けたのに、江副浩正社長(当時)の評価が低かったのです。本人が、「俺は0点を付けたからね」と直接、話かけてきました。

──江副さんが反対したのはなぜですか。

 2つの理由がありました。

 1つ目は、当時、『日刊アルバイトニュース』(学生援護会発刊)という圧倒的に強いライバルがいたからです。「君の言っていることはわからないでもないが、難しい」と。