「仕事相手が全員年下」「自己模倣のマンネリ地獄」「フリーの結婚&子育て問題」……Twitterで話題を呼んだ〈フリーランス、40歳の壁〉。本物しか生き残れない「40歳の壁」とは何か、フリーとして生き抜いてきた竹熊健太郎氏がその正体に迫ります。著書『フリーランス、40歳の壁』では自身の経験のみならず、田中圭一さん(『うつヌケ』)、都築響一さん、FROGMANさん(『秘密結社 鷹の爪』)ほか、壁を乗り越えたフリーの話から「壁」の乗り越え方を探っています。本連載では一生フリーを続けるためのサバイバル術、そのエッセンスを紹介していきます。
 連載第1弾は、『フリーランス、40歳の壁』オンライン番外編!40歳過ぎにサラリーマンとしての地位を投げ捨てて、フリーへと転身したアニメ・特撮研究家である氷川竜介氏にその選択の意味を問います。フリーでやっていく条件は何か、サラリーマンを辞めることのメリット・デメリットなどを聞いていきます。一生、フリーを続けるためのサバイバル術がここに!

仕事は「方程式」である

 エンジニアとして長年仕事をしてきて、そこで学んだことは、フリーライターをしていくうえですごく役に立っているそうです。エンジニアの世界では必ず「仕様書」を書きます。氷川さんはそれを作成するとき、あたかも絵コンテのように、絶対に重要な骨子の部分はちゃんと内容を書いて、それ以外のさほど重要でない部分はダミーにして、とにかく先に進めるというやり方をしていました。これが文章の仕事でも非常に役に立っていると言います。最初に全体を見通したレイアウトを組み、アニメでいうなら演出家がチェックして先に進んでいく。このクオリティ・コントロールのやり方が、アニメの仕事もエンジニアの仕事も、文章でも、みんな一緒だなと感じたと言います。

「こういう製品の作り方、工程分解の大元は自動車メーカーのフォード・システムだと思います。でも日本に入ってきたとき、そこにトヨタ式カイゼン文化が加わった。結局、どこでもそういうことが起きたのではないでしょうか。だからアニメも技術の産物で、日本の工業製品なのだと会社員になって気付いたわけです。
 マンガのような個人作業とは違って、アニメは多くの人間が制作過程にいる集団作業ですし、そこには科学的な考え方、技術研鑽への意欲、工学的なセンスが必要になる。なるほど、だから僕はアニメが好きになったのだと思ったんです。
 富野由悠季さんの『映像の原則』という本を手伝ったとき、やはりこの監督は非常に工学的な感覚を持っているのだと、実感しました。エンジニアにアニメ好きが多いのには、そういう理由もあると思っています。」

 いかにもエンジニア出身の氷川さんらしい話だと思いました。私と氷川さんは同じフリーライターですが、氷川さんの仕事の進め方は理系のそれなのです。最初に全体の青写真を作り、骨格を把握して、段取りを組んで、その段取りの通りにキチンキチンと進めていく。

 一方文系脳の私も、文章を書くときはもちろん初めに構成を考えます。本書を作るにあたっても、最初に目次を立てて企画を通したのです。しかし、いざ書き始めると、最初の構成通りにはまず書けません。一文書くと、自分では予想もしていなかった次の文章が浮かんできて、それに沿って書き進めるうちに当初の計画とは大きく異なった文章になったりします。しかし、結果としてそちらの方が面白ければ、私はそのまま最後まで書き上げることがあります。どうにも収拾がつかなくなったら最初に戻って書き直します。

 私の場合は、とにかく頭の中にある混沌としたイメージをとにかく書くのです。それから推敲をします。推敲する過程で不要な部分をどんどん削っていき、最終的に文章として完成させるのです。私の場合、最初に立てる構成はあくまでイメージのたたき台で、執筆とは「材料をすべて出す」ことで、それを推敲・再構成して、ようやく読める文章になるわけです。このやり方は、立花隆さんの方法から学んだものですが、彫刻的文章術と言えるかもしれません。正直言って、書き終わるまで自分でもどういう文章になるのか見当がつかないことがあります。効率は悪いと自分でも思います。

 こういう非効率的な仕事のやり方が染み付いているので、理論的に、計画的に文章を書きあげる氷川さんのやり方には羨望しかありません。

フリーは「仕事」こそが最強の営業である――氷川竜介の場合。【後編】氷川竜介(ひかわ・りゅうすけ)
1958年兵庫県生まれ。アニメと特撮についての執筆を中心に活動し、理系的な分析力で作品の魅力と本質を探る。文化庁メディア芸術祭アニメーション部門歴代審査委員。2018年4月より明治大学大学院特任教授に就任。学部、大学院ともにポップカルチャー研究として「特撮」を扱う講義を新規に推進中(おそらく大学では初)。2017年に「アニメ100年」関連の個人誌を出し、通史の書き下ろし単行本を準備中。また「アニメ特撮アーカイブATAC」(理事長:庵野秀明)の理事に就任し、制作関係資料の保全など公的活動にも従事中である。

「でも、僕も30歳までは分かっていなかったはずです。ところが技術の仕事で、インプットとアウトプットの差こそが仕事の成果なのだと、それに気付いてから非常に段取りを意識するようになりました。ライターの仕事でも、発注主(出版社)だけをみて仕事をするのではなく、その先の読者の評価は意識して書きますし、自分の中にも仮想の両者を置いてチェックします。また自由な小説とは違い、対象のアニメをどう論じるか、外的条件も関わってくる。とにかくシステムを全て俯瞰してから仕事をすれば、上手くいく。それは確信がありました。」

 フィクションを書こうと考えた時期もあったそうです。リサーチをちゃんとやれば書けるのではないか、とも。氷川さんは「フィクションも方程式で解けるのではないか」と考えています。徹頭徹尾、理系の発想なのです。

「仕事をするうえでの一番大きな課題って、原初の着想というか衝動というか、システムやメカニズムでは考えられない、人間味の部分ですよね。クリエイティビティの核心の部分。そこに時間をかけるためにこそ、それ以外のベース部分はシステマチックに合理的に圧縮した方がいい。そう考えているわけです。
 今日のテーマとも絡んでくるんですけど、40歳を過ぎるとなかなか馬力もなくなってくる。そうそう良いアイデアも、降ってこないわけです(笑)。だからこそ、合理的に出来る部分は合理的に処理する必要があると思うんです。」

 エンジニアには「35歳定年説」というものがあるそうです。「プログラマー30歳定年説」というのを聞いたこともあります。氷川さんに言わせるとアニメ業界もそうで、35歳前後に一番いい仕事をする人が多い、とか。確かに庵野秀明さん、富野由悠季さん、石黒昇さん、宮崎駿さんもその年代に代表作を作っている。多くはその後に衰えが来て、違う傾向の仕事を始めたり、ライターだったら編プロを始めたりという話をよく聞きます。
 特にアニメ業界で40歳まで仕事を続けるということ自体が大変なことです。非常に過酷な労働環境だからです。

「そうですね。だからそこまで残っている人は自然と鍛えられている、乗りこえられる何かを持っている。そういうことは確実にあると思います。」

仕事こそが最高の営業である

「僕はフリーランスには二種類いると思っています。一つは最初からフリーランスで生きてきた人。その場合、仕事を自分から取りに行く必要はない。もう一つは営業が必要な人。僕は会社員からフリーになったので、最初は営業する時間も計算に入れていました。幸いにして営業をしたことはないんですが。」

 実は私も営業をした経験がほとんどありません。私の場合は人脈がものを言いました。1980年代のミニコミブームの中で、ミニコミ活動で知り合った友人(学生)が次々にプロになっていき、仕事を紹介してくれたというのが私のスタートです。幸いにして書く文章が認められ、そうなると、「仕事が仕事を呼ぶ」好循環になります。氷川さんの場合、「人づてに来た仕事は絶対にしくじるわけにいかないので(紹介してくれた友人の顔を潰すことになる)、120パーセントの出来でお返しをすることを心がけた」そうです。

 特に駆け出し時代には絶対的に大切なことですが、ひとつひとつの仕事には「何もそこまで」と発注者が思うくらい、全力を投入することです。そうやった仕事は、必ず人の記憶に残ります。それの積み重ねで、仕事が仕事を呼んでくれるのです。ひとつひとつの仕事が、そのまま営業になるのです。

 もうひとつ、フリーランスとして今の時代で重要なのは、インターネット上での自分の存在感です。氷川さんがまだ会社員時代、ネットで自分のペンネームを検索してみたら、圧倒的にヒット数が多かったとか。本名はまるでヒットしない。それもフリーを決意するきっかけになりました。ネットで存在感がなければこの先生き残っていけないという問題意識があったそうです。

 氷川さんは、「アニメの生き字引のロトさん」として、1990年代からネット界では一目置かれる存在になっていました。ネットで趣味のアニメの文章を発表する、これをコツコツ10年以上続けていたことが、氷川さんのアニメライターとしての地位を築いたといえます。それもデビュー前に!