「私が今日、総理と会談に来たのは、大統領の指示によってです。すでにここにいるロバートが大統領特使として来日し、レポートをお渡ししました。今日は、そのレポートに対する考えをお聞きするために来ました」

 国務長官はゆっくりとした口調で話した。多分に森嶋を意識しているのだ。

「このレポートに関しては極秘扱いで、外部には公表しておりません。しかし、他の大学や研究所、企業のシンクタンクで同様のレポートが出るのは時間の問題です。そうなれば、格付け会社の日本の評価も変わるでしょう。ヘッジファンドも動き出します。儲け方にはいろいろありますからね。日本経済の評価が落ちると言うことは、影響ははかり知れません」

 言い方は穏やかだか、総理に向ける目は厳しさを含んでいる。

 森嶋は正確に言葉を伝えるためだけに神経を集中させた。

「すでに東京は危機対応には力を注いでいます。考えられる地震に対しての備えも十分にできています。このレポートに書かれているような大規模な損失が起こるとは考えられません」

「大統領が危惧しているのは、東京の防災ではありません。東京が災害に見舞われたときの日本の経済的、政治的な影響です。一時的にしろ、日本の格付けは下がるでしょう。そのとき、日本が適切な対応が取れるかどうかです」

 国務長官は総理と森嶋の反応を交互に見ながら、ゆっくりとしゃべった。

 森嶋は時おりメモを取りながら、できる限り正確に訳した。

 知らず知らずのうちに、額にじっとりと汗が滲んでくる。

 総理はいつの間にか森嶋に目を向け、無言で聞いている。

「東京が甚大な被害を受けた場合、たとえ政府機能が残っていたとしても迅速に適切な対応が出来るとは限りません。そうなった場合、世界のヘッジファンドが大挙して日本を食い物にしようと襲ってくるに違いありません。円は急落、急騰を繰り返し、株価は全面安、国債は暴落するでしょう。レポートに書かれている通りです」

 森嶋は通訳をしながらも東日本大震災の時を思い出していた。政府の対応は最悪だった。総理は延命と保身のみを考え、与野党ともに足の引っ張り合いに終始し、被災地復旧、復興は遅れに遅れた。

 東京に被害総額100兆円を超える大震災が起こったら。たしかに、このアメリカの国務長官が言うように、日本は最悪の事態に陥るだろう。立ち直ることができるかどうか。

「大統領の最大の危惧は、日本発の世界大恐慌です。残念ながら現在の世界経済は、まさに綱渡り状態です。ほんのわずかなバランスの狂いで転落は免れません。リーマンショックやギリシャ危機、ユーロ圏の財政危機が序章であったような深刻な経済危機がアジア、ヨーロッパ、そしてアメリカにまでも押し寄せてくることは必死です。大統領はそれを危惧しているのです。総理はどうお考えですか」

 国務長官は総理に視線を止めた。

「我が国は先の二つの大震災をも乗り越え、復興を成し遂げています。東京を襲う震災に対しても、十分な備えと訓練をしています。大統領にはお心遣い感謝いたしますが、危惧には及びませんとお伝えください」

「具体的な方策を教えてはいただけませんか。我が国にできることは、なんなりとお手伝いいたします」

「いや、御心配には及びません。我が国は過去の大戦の焼け野原からも、雄々しく立ち上がった歴史を持っています。自国の安全は自国で護る知恵と力はあると信じています」

「その具体的なプランを聞きにきたのです。実は格付け会社の一つがすでに、日本の評価を下げる検討に入ったとの情報があります。それも一気に二段階の降格です。プランの一つでも教えていただけると、回避すべく我が国が動くこともできます」

 国務長官は執拗に総理に迫った。

「我が国の実体経済はそんなに脆弱なものではありません。格付け会社の評価など、意に介しません」

 総理は言い切った。その顔には明らかな不快感が浮かんでいる。

「すでに一部のヘッジファンドはヨーロッパから次の標的を日本に絞っているという情報もつかんでいます。日本に対するマイナス条件を探しているのです。それを誇張して、マスコミを煽る。彼らの頭の中にあるのは、自らの利益を得ることだけです。それから生ずる世界的な影響など、まったく意に介さないのです。彼らは死肉に群がるハイエナです。日本は本当の怖さを知らない」

「我が国を死肉だと言うのですか」

(つづく)

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