ぼくの学習ノートの上に、机の上に、木々の上に、ぼくは書く。きみの名前を。 そしてひとつの言葉の力で、ぼくはまたこの人生を歩み始める。ぼくは生まれ た、きみを知るため、きみの名前を呼ぶために――、ポール・エリュアールの『自由』より。
 
 

 カメラマン同行で取材をするとき、たとえばそれが室内だったりすると、私は取材相手と対面して座り、カメラマンは動きまわって、あらゆる角度から取材相手の表情を収めようとする。これがインタビュー取材の現場です。

 が、ときおり、それを鬱陶しく感じることもある。
  カメラマンがやたらとシャッターを押すようなときだ。

 なるほど。それで? ほほ~、わかります。私もそう思います。そーいうときってのは誰もがひどく落ち込むものですよね。で、どーなんです、本当のところは――、とこちらが取材を進めているさなか、カメラマンがうろちょろし、バッシャバッシャと写真を撮りまくると気が散ってかなわんのだ。

 取材相手が、いまにも切ない真情を吐露しようかという瞬間などは特に。

 そんなときにかぎって、取材相手もカメラマンの動きにあわせ、視線がちらりと彼のほうに動いたり、すると、会話というものの集中性も欠いてくる。いままさに真相が語られようというときに、やっぱり言うのやーめた。なんてことにもなりかねない。で、あるとき、一緒に組んだカメラマンにこんなことを言ってみた。

「今日の取材は約三時間。その間に、きみは十回しかシャッターを押してはならん」

 いいか、ちゃんと数えてるからな。私はこーいうことだけはしっかり数えるのだ。
  と念を押したが、取材が始まってわずか十分のうちに、彼はもう三十回もシャッターを押していた。

 んがつつだな。私が睨みつけてるのにも気づかないんだから。そんなやつに被写体のわずかな表情の変化が撮れるかっつーの。

 そのとき、取材を終えたあとのカメラマンの反論。いろんなアングルから、少しでもいい表情のショットを押さえておきたかったから。