副業がこれから一般化するとしても、転職と副業に対する企業と世間の受容には、20年から30年のタイムラグがあるように思う。

 筆者が最初に転職したのは、新卒で就職した大手総合商社がばかばかしく思えたからだが、1985年のことだった。この前年くらいから、大手の金融機関などが中途採用を始めるようになった。金融業界における中途採用は、1980年代の後半に、バブルの拡大とともに広がっていった。

 だが、当時、総合商社→投資信託運用会社→生命保険会社→信託銀行と転職した筆者は、転職先ではそもそも中途で入って来た社員として珍しがられたし、「場合によっては、同期換算の正社員として扱う」といった程度の、いわば「準市民」のような扱いを受けたこともある。

 世間的には、「まあ、事情があって転職したのでしょうが、この転職が最後になるといいですね」、「転職を重ねて、どんどん条件の悪いところに行く人もいますから、気をつけてくださいね」と同情されることも多かった。

 その後、筆者は、1992年にある事情があって信託銀行を辞め、外資系の運用会社に転職した。

 この10年以上前から、外資系の会社には中途採用の門が小さいとはいえ開かれていたが、日本では外資系企業自体がそれほど大きな存在ではなかったので、外資系企業への転職者は世間的にはあまり目立なかった。

 1990年代の前半から半ばに掛けて、筆者は、外資系運用会社→資産運用ソフトの提供コンサルティング会社→米系証券会社→仏系証券会社と短期間に外資系企業4社に勤めた。当時の外資系企業では、社員の多くが中途入社なので、オフィスにあって「転職者」である自分を意識しなくてもいい点で、爽やかに働けたように思う。

 その後、結果的に見る目がなくて(入社2年後に潰れたのだから、そう言うのがフェアだろう)、1996年に筆者は山一證券に入社する(外資系並みの報酬の高さというありがたい条件だった)。山一は、翌1997年の11月に自主廃業を発表し、筆者はその年の年末に山一を去って1998年に大手都市銀行系の運用会社に入社する。

 転職者に対する世間の目の変化を強く感じるようになったのは、この頃からだ。こちらは、本人の事情や好みや価値観から、ある意味では仕方がなく転職してきだけなのだが、過去の転職の数が多いことに関して、「何度も転職できるということは、それだけ多くの企業に求められるような有能な方なのですね」といった、本人からすると全く「過分の」としか言いようのない言葉をいただく機会が増えた。