エビデンスベースの社会で
私たちに必要な視点・考え方とは

 デジタル技術の進展について、身近なところでは、スマートフォンの普及が人々の行動様式を一変させた。いわば手のひらサイズのスマホのなかに人類の英知が収められていて、考える前に、とりあえず検索である。先日、聞いた話では、プログラミングも全部いちから自分でつくるのではなくて、ネット上に部品が落ちているから、これを拾ってきてつなぎ合わせるのだという。

 1から考えるより、スマホで検索したほうが早い。価値判断の基準が大きく変わってきているから、それを学生にやるなとは言えない。我々は昔、学生に「手で計算しなさい」と言っていた。でもいまはスマホやパソコンがあるのだから、それを使わない手はないのだ。

 サービス業のクレーム処理についても同じことが言える。いままでこういうクレームが来て、それに対してどのような対処をしたかがすべてデータベース化されるようになった。コールセンターのオペレーターは、都度、データベースを検索すればいいのである。さらに言うと、人間がこれに対応する必要はない。AIが代わって対応してくれるからだ。AIができることは人間がやらなくていい。そうしないと、人口減少の時代に労働力を確保することはできない。

 AIが人間に取って代わると言われるが、そうではなくて、AIをうまく使いこなすことができる人間が生き残り、使えない人間は滅びるということだ。何をAIに任せるか、これを判断できる人材を育てることが重要であり、我々の教育の在り方も大きく変えていく必要がある。

 昔の試験は「持ち込み不可」だったが、これからは学生同士の相互通信以外は何でも「持ち込み可」になるかもしれない。記憶した公式を当てはめるような問題は意味がないし、課題解決にもならない。それより、課題を与えて、これを解くには何でも好きにやっていいとする。逆に言うと、持ち込み可でも解くのが難しい問題を教員は提供していかなければならないということだ。

 その1つが、少子高齢化を筆頭とする社会課題の解決である。人口減少に伴い、社会資本の選択と集中は不可避である。データ分析に基づいた意思決定が重要になるのはもちろんだが、それによって得をする人もいれば、損をする人も出てくるだろう。損をする人を納得させるにはビジョンが必要だ。ビジョンを示し、納得させることはAIにはできない。エビデンスベースの社会が行き着く先は、哲学的であるが、改めて人間とは何かが問われることになりそうだ。そういったことも学生たちには4年をかけて学んでいってもらいたいと考えている。

(取材・文/堀田栄治 撮影/宇佐見利明)