シニフィアンの共同代表3人による、日本企業における「取締役会について」をテーマにした床屋談義「シニフィ談」の第2回(全5回)。(ライター:福田滉平)

「取締役」は昇格じゃなくジョブチェンジ

朝倉祐介(シニフィアン共同代表。以下、朝倉):僕は初めて上場企業の取締役になった時、いくつか取締役向けの講座を受けたことがあります。会社役員育成機構で役員教育に取り組んでらっしゃるニコラス・ベネシュさんが仰っていたことですが、取締役に就任する方というのは、組織の中でそれなりの実績を残されてきていることもあって、「新卒じゃあるまいし、今さら研修なんか受けられるか」といったマインドセットになっていることが多いと。

小林賢治(シニフィアン共同代表。以下、小林):それは少なからずあるよね。

朝倉:新卒研修であれば、新入社員はみんな何の疑問も持たずに、研修を受けるわけじゃないですか。でも取締役はそうじゃない。これについて思うのは、取締役という役職がサラリーマンとしてのキャリアの延長線上で連続的に捉えられているから、「俺、今までこんなに実績を残してきたのに、何を今さら学ぶねん」という心持ちになってしまうのではないかということです。
実際には、取締役というのは執行とは明確に役割が違う。執行役員から取締役への「昇進」というのは、ランクが上がるということではなく、ある種のジョブチェンジのはず。社歴だとか執行での経験は関係なく、真摯に学び直さないといけないと思うんです

小林:昔、大和銀行事件っていう監視監督義務違反を問われた事件があって、日本の取締役の位置づけを端的に示した判決文があるんです。裁判長はこういうことを言ってます。

「相手方らは(=大和銀行の役員陣)、・・・大企業の役員らの取締役の監視業務は、取締役上程事項に限るべきであるという」

小林:要は、取締役会に上がっていないことは管理責任の範疇外である、という被告側の主張。しかし裁判長はそれを次のように一蹴したうえで、厳しく取締役のあり方に突っ込んでいる。これがあまりに名文。

「しかし、そのように限局すべき根拠はない。なるほど、我が国の株式会社、大企業のいわゆる平取締役ないし、その監査役は、その大半が社内取締役ないし、社内監査役であり、これを従業員の年功功労報償的な地位におく運用が広く行われてきた。それは厚遇を受けながら、取り締まらない取締役、監査しない監査役として、業務執行者の盲検的追認機構と化しているのである。・・・(中略)・・・もとよりこのような現状を当裁判所も知らないではない。知らないではないが、そうだからといって、報酬のみを得て取締役、監査役として職務をとらない名誉職的ないし名目的な取締役に席を与えない法の主旨をないがしろにすることはできない。前示のような現状に容易に妥協して、前示の責任要件の解釈を曲げ、法の趣旨に反して取締役、監査役の形骸化に途を拓くことはできない」(強調は引用者)

小林:これは大阪地裁の判決なんですけど、日本って長らくこの状態だったと思うんです。 まさに、「取締役は執行役員の延長線上のゴール」みたいな感じ。