「子どもの頃、家庭で繰り返し教わったことがあります。瓦礫や道端に落ちているものは絶対に拾ってはいけないと……。学校やサマーキャンプでも同じように教わりました。でも、中には言いつけを守らない子どもたちもいました。悲しいことに、そうした子どもたちは、ボールのようなもの、おもちゃのようなもの、綺麗な色をした形状の物体を拾っては、死んでいったのです。それはクラスター爆弾でした。たとえ生命は助かっても、腕を失ったり、頭部や顔面に大きな怪我を負ったりして、一生障害を背負って生きていかなくてはならなくなっていました。どれほどの犠牲者がいたのかはわかりません」

 こう語るのはレバノン(パレスチナ)で生まれ、育った重信メイ氏だ。

 5月30日、アイルランドのダブリンで開かれていた軍縮交渉「オスロ・プロセス」は、クラスター爆弾の即時全面禁止条約を採択し、約10日間の日程を終えて閉幕した。これによって、12月に予定されているノルウェー・オスローでの署名式では、30ヵ国以上の批准によって条約が発効される見通しだ。

クラスター爆弾問題は
EUでは重要な政治テーマ

 2006年、第二次レバノン戦争において、イスラエル軍はレバノン全土に約400万発のクラスター爆弾を投下した。タイプにもよるが、一発から約200発の小爆弾に分かれるクラスター爆弾は、戦闘による戦死者を生む以外にも、さまざまな別問題を引き起こしている。

 とくに不発弾は、民間人、とりわけ子どもたちに対して深刻な二次被害を与えている。これまでの紛争で、重信氏の住んでいたレバノン国内にも100万発の不発弾が残っていると言われている。

 「クラスター爆弾が今後使えないようにしてくれてありがとう」(毎日新聞)

 30日の閉会式で、そのレバノンの政府代表は、被害に遭った自国の子供たちや家族のメッセージをこう読み上げた。今回の合意によって、現在あるクラスター爆弾のうち約99%が使用禁止になる見込みだ。