アジア人初のヨーロッパ1部リーグの監督から
本田圭佑選手の分析官へ

本田圭佑選手の専属分析官が語る、<br />「何かをやるのに遅いということは決してない」白石尚久(しらいし・たかひさ)
サッカー指導者
1975年香川県生まれ。高校3年生で本格的にサッカーを始め、明治大学在学中にアルゼンチンに渡りサッカーを学ぶ。大学卒業後、フランスなどでプレーし、27歳で現役を引退。帰国後、大手広告代理店に入社。同時に海外のトップクラブでサッカーのコーチングを学ぶ。2008年からFCバルセロナ(スペイン)のスクールコーチに就任。2010~2012年までバルセロナにあるCEサン・ガブリエルで男子U15コーチ、U12監督。同クラブで2012~2013年スペイン女子1部リーグの監督を務める。女子の指導経験はなく、監督デビューがいきなりの1部リーグ。アジア人としては初めて女子、男子を含めヨーロッパ内1部リーグのチーム監督となる。2015年からスペインリーグ4部のCEエウロパでアシスタントコーチ、監督を務めた。2017年3月より、ACミラン、CFパチューカ所属の本田圭佑選手専属分析官。2018年7月よりオランダの1部リーグ・SBVエクセルシオールでアシスタントコーチ/テクノロジーストラテジストとしてのキャリアをスタートさせる。英語、フランス語、スペイン語、日本語の4ヵ国語を操る。

そもそも僕が本格的にサッカーを始めたのは高校3年生、18歳のときだ。あまりに遅すぎるスタートのため、大学のサッカー部にも入れなかった。
加えて、日本国内でのサッカー経験がほとんどない
J1,J2,J3でのプロ経験はもちろん、実業団などでプレーしたこともない。誰からも「今からでは間に合わない」「プロなんて絶対に無理」と言われ続けてきた僕のサッカー人生は、まさしく困難の連続だった。

日本がダメならと単身、南米アルゼンチンへ。
そこで育成選手からキャリアを積み上げ、新天地を求めフランス(欧州)へ。
しかし、そこでも一流プレイヤーとはいえず、日本のメディアに取り上げられることは、選手としては皆無に等しかった。

夢を持ち、夢に破れ、また新たな夢を見つけ、挑戦する。
そんなことを繰り返していくうちに、チャンスはやがて、
「サッカー指導者」という形で花を咲かせることになった。
(こうした困難については、第2回以後でお伝えする予定だ)

2008年、FCバルセロナのスクール(エスコーラ)で、
僕のサッカー指導者としてのキャリアがスタートした。
その後、ペイン1部リーグのCEサン・ガブリエル(男子)で
U12の監督とU15のアシスタントコーチに。
そして、2012〜2013年に同チーム女子の監督を務めることになった。 これまで女子サッカーの指導経験はなく、監督デビューがいきなりの1部リーグ。
アジア人としては初めて女子、男子を含めヨーロッパでの1部リーグのチームの監督となった。崖っぷちだったチームを1年もたたずに立て直せたことは、サッカー指導者として大きな自信となった。

その後、2015年からスペインリーグ4部のCEエウロパ(エウロパ)で男子チームのアシスタントコーチを務めた。エウロパは、ヨーロッパ各国で総合的にサッカーのコーチング技術を学び、高度なメソッドを用いることで知られる、優れた攻撃の質と組織的で激しい守備を持ち味とするチームだ。

こうしたヨーロッパチームでの経験が、今のキャリアにつながったのだ。