優美子は理沙が人混みにまぎれて見えなくなるまで姿を追っている。
「理沙さんが電話のために外に出たのは、高脇准教授の居場所を新聞社に知らせてたのね。私たちが彼の研究室で会ってたって聞いて。それで記者が飛んでったら消えてたのよ」
「俺たちは利用されてたってわけか」
「でも、素敵な人ね。肩で風を切って歩いてる」
「なんでそれが素敵なんだ」
「誰にも頼らなくて、組織の歯車でもない。自立してる女性の鑑」
「人間なんて、誰でもどこかで人と関わり合って生きてる。気がついてないだけだ」
理沙も社会的に認められている大新聞の記者だというバックがあるからこそ仕事が出来るのだ。
森嶋は携帯電話を出してメモリーボタンを押した。
聞こえてくるのは、電波の届かないところにいるか電源が切られているとのメッセージばかりだ。
しばらく考えてから、研究室の番号を押した。
〈高脇研究室、松下です〉
何度か面識のある講師だ。
名前と用件を言うと、一瞬、戸惑う気配が感じられた。
〈実は私たちも探しているんですが――〉
「どういうことですか」
〈森嶋さんたちがお帰りになって、すぐに高脇先生はお出かけになりました〉
「行き先を告げるか、何か変わった様子はなかったんですか」
〈ずいぶん慌てた様子で出ていきました。そうそう、そのちょっと前に携帯電話に電話がありましたね。かなり緊張した様子で応答をしていました。それから行き先も告げずに――〉
「電話の内容は?」
〈分かりません。声を低くして、自室に入って行きました〉
それ以上、知らない様子だった。森嶋は何か連絡があれば、何時であってもいいから知らせてくれるように言って携帯電話を切った。
優美子が携帯電話を出してかけ始めた。
「私よ。いま東京経済新聞の記者と会ってたの」
相手は財務省の友人らしく、優美子は理沙の話をかいつまんで話した。
「こういう場合、どの部署がどう動くの。具体的に分からないかしら」
森嶋が見つめていることに気づくと、肩をすくめて見せた。
電話でのやり取りは十分近くにおよんだ。
「やはり役所は、高脇さんの論文についてまだ知らなかったみたい。さっそく上司に伝えるそうよ。まず真偽のほどを確かめて、間違いないと分かると幹部会議が開かれて、ある程度意見集約と対策が出そろった時点で政府に報告するそうよ」
「政府は知っているはずだろ。総理に届けたんだから」
「私に聞いても分からない。でも、財務省が知らなかったってことは、一般の閣僚は知らないのよ。政府が先に知ってたら、役所は資料作成と政治家への説明で今ごろ大騒ぎよ。関係ないような政治家まで電話をかけてくるんだから。おまけに知識ゼロときてる」
「官僚支配と言われるわけだ。そこまで霞が関を頼らなきゃならないとはね」
「国交省だって同じでしょ。最近の当選1回クラスの政治家なんてひどいもんよ。勉強なんてする気もないし、なにも知らずにやって来て、説明ばかり求める。基本的な語句の説明からやらなきゃならない。地元後援会で質問されたら困るでしょ。想定問答集を作ってあげると喜ぶのよ」
たしかにその通りだ。森嶋にも異存はなかった。これが官僚指導と言われる所以なのだ。