a『ツチハンミョウのギャンブル』
福岡伸一著(文藝春秋/1700円)

『生物と無生物のあいだ』や『動的平衡』などのベストセラーを生み出してきた生物学者の福岡ハカセ(著者)が週刊誌に連載したコラムに加筆・修正したのが本書である。

 ハカセ曰(いわ)く、日々気付いたこと、学んだこと、引っ掛かったことなどのアイデア帳、ひらめきメモ、雑記帳なのだが、一つひとつのコラムの密度は高く、示唆に富む。扱う分野もサイエンス、昆虫採集、フェルメール、ニューヨーク、本の未来などと幅広い。ハカセの抽斗(ひきだし)の多さとその中身へのこだわりを感じないわけにはいかない。

 書名の『ツチハンミョウのギャンブル』は本書の一コラムである。ツチハンミョウという昆虫の幼虫は、4000匹程度の群れを成して巣穴から這い出てくる。その後、近くのコハナバチの巣穴に潜り込む。コハナバチが穴から出てくるところを見計らって蜂の体にしがみ付く。コハナバチも振り払おうとするから、何匹ものツチハンミョウの幼虫は振るい落とされる。

 コハナバチが花の所まで飛んでいくと、ツチハンミョウの幼虫は花や葉に飛び移る。そこで、花粉を集めて回っているヒメハナバチという別の小さな蜂に出会えた幼虫は、蜂の脚に飛び付く。

 ヒメハナバチは、花粉を集めて花粉団子を作り、地下の巣穴にしまう。この花粉団子にヒメハナバチは自分の卵を産むのだが、何とこの花粉団子にツチハンミョウの幼虫は忍び込み、ヒメハナバチの幼虫を殺して食べ、やがて成虫になっていくのである。

 ツチハンミョウの4000匹もの幼虫の中で成虫になれて生き残るのはわずか1匹か2匹。なぜこんなに生存確率の低い生き方をするのか。それがツチハンミョウの選んだ生き方だから。この壮絶なギャンブル人生に比べたら、人間の人生とは何と生ぬるいものか。

 はたまた、ハカセと作家のカズオ・イシグロとの遭遇の話も出てくる。ハカセは、村上春樹よりも先にイシグロがノーベル文学賞を受賞すると予想して、実際にそうなる。なぜなら、イシグロの世界の方により普遍性、メッセージ性、政治性が感じられるからだ。そんなハカセもイシグロと寿司(すし)を一緒に食べた際には、その食べ方がもはや日本人のそれとは異なることに驚く。イシグロは本当に外国人になってしまっている──。

 と、100本近くの面白いコラムがこれでもかと読者を圧倒する。イタリア文学者で随筆家であった須賀敦子のファンであるハカセの文体は、彼女のそれと全く同じではないが、美しく、そして鋭い。ビジネスパーソンの頭を癒やし、そして刺激してくれる一冊だ。

(選・評/A.T.カーニー株式会社 パートナー 吉川尚宏)