総理は無言で窓の外を眺めていた。

 総理執務室の分厚いカーテンは下ろされ、一条の光ですら漏れ出ることはない。狙撃を避けるためだと聞いたことがあるが、いまひとつ実感が湧かない。窓ガラスはすべて防弾だし、外のどの建物からもこの官邸内部は見えない。警護官はヘリからの狙撃という言葉を使ったが、映画やテレビではあるまいしと思ったものだ。しかし、一国のトップとしてすごしていると、そういうこともあり得るとさえ、思えてくる。

「支持率など気にする必要はありません。しょせんは、人気投票にすぎません」

 官房長官が慰めるように言ったが、素直に受け取り納得する気には到底なれない。その何分の一かは官房長官自身の責任であり、国民のまっとうな評価でもあるのだ。この男は時に軽率で、しゃべりすぎる。

 地震後初の世論調査で能田政権の支持率が一気に10ポイント近く下がり、20パーセント台前半になったのだ。当然その分、不支持率が増えている。

 首都直下型地震に対して政府は準備不足であり、危機対応がなっていない、もっと迅速に、合理的、的確な対応が出来たはずだと、すべての全国紙の社説に書いてあった。引き破ってゴミ箱に投げ捨てたい衝動に駆られた。それをやらなかったのは、ただ1人いる女性秘書が見ていたからだ。

 なにごとも、言うは易く行なうは難しだ。後でなら何とでも言うことが出来る。この地震に対してさえ、予知していたという者が何人も現われている。

 書きたければ勝手に書くがいい、そう思ってはみたが、どうにも頭から離れず落ち着かない。

「国民など、マスコミの扇動で動いているようなものです。今回は状況が悪すぎました。やっと先の震災の復旧に目処が立ち、一部では復興が軌道に乗り始めたときでした。しかし、先日の地震で大きな被害が出なかったのは不幸中の幸いでした。政府の努力の賜物ということも出来ます。そのことはどの全国紙にも書いていませんが」

「そうです。あの程度の混乱で済んだと評価することも出来ます。実際、我々はよくやりましたよ。死傷者の数も最小限にくい止めることが出来ました」

 国交大臣は言ってはいるが、本心ではないだろう。地震時彼は招集4時間後に、官邸の危機管理室に現われた。そして政府内でいちばん大騒ぎして、その騒ぎが現在でも続いているのが国交省だ。最終的な被害状況もまだ上がってこない。マスコミの多くが、独自調査ですでに発表しているというのに。

「アメリカ政府から、何か言っては来てないかね」

 総理は外務大臣に向き直った。

 ずっと気になっていたことだ。大統領の側近という若い男と国務大臣が、大統領からの言葉を伝えに2度にわたって官邸まで来たのだ。一度は若い男、たしかロバートとかいった。二度目は若い男と国務大臣が一緒だった。その両方に同行して通訳をしたのが、名前は忘れたが国交省の若い官僚だ。

「お見舞いと協力を惜しまないという報は入っていますが、具体的な動きはありません。東京直下型地震とはいえ、きわめて局所的な災害にすぎませんから」

「しかしこのままだと、来年の総選挙では大敗は免れません。野党は、我が党の政権担当能力不足を言い立てております。なんとか支持率の回復を試みなければ」

「回復と言っても、現状では手の打ちようがありません。経済、雇用、失業率、おまけに外交と、どれを取っても最悪の状態です」

 閣僚たちの声が上がり始めた。

 総理は官房長官に視線を送った。

「では、引き続き最善を尽くすということで解散とします」

 官房長官の言葉で閣僚たちは立ち上がった。

(つづく)

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