地方局のアナウンサーから史上最年少の36歳で福岡市長に就任。
逆風のスタートから、いかにして福岡を「最強」と言われる都市に改革していったのか?

就任から8年、2018年11月の市長選では28万票以上を獲得し、
前回の市長選(2014年)に続いて史上最多得票を更新した。
しかし、そこに至るまでの道のりは、第1回の記事のとおり、決して平坦なものではなかったという。

スピーディーな対応で、福岡市が世界中から注目を集めたのは、2016年11月8日、博多駅前で発生した大規模な陥没事故。あのとき、どのような決断をすることで、約1週間での復旧が実現できたのだろうか。

ほかにも、熊本地震の際のSNS活用方法をはじめとした取り組みで注目を集める高島市長は、まさしく福岡市の【経営】者だ。そんな彼の仕事論・人生論が詰まった、初の著書『福岡市を経営する』(ダイヤモンド社、3刷決定)から、その一部を再編集して特別公開する。
<構成:竹村俊助(WORDS)、編集部、著者写真撮影:北嶋幸作>

博多駅前の陥没を最速で復旧した一部始終を公開博多駅前の陥没を最速で復旧した一部始終を公開

非常事態には
最初の決断が重要

  リーダーが決断しなければならない局面はたくさんありますが、とくに非常事態には最初の決断がその後に大きな影響を与えます。

 2016年11月8日、博多駅前で大規模な陥没事故が起きました。九州の陸の玄関口である博多駅の真ん前に突如姿を現した直径30メートルの穴は、映画に出てくるような衝撃的な映像で、このニュースは瞬く間に世界を駆けめぐりました。「復旧に半年はかかるだろう」などと言われ、当初は長期化が心配されていました。

 ただ、結果的にこの穴は1週間で何もなかったかのように元の道路に戻り、人も車も普通に通行できるようになりました。衝撃的な事故映像だっただけに、逆に復旧の早さも大きく話題になりました。南米を訪れていた安倍晋三(しんぞう)総理は、CNNがこの復旧の早さについて日本を賞賛しているのをテレビで見て、「誇りに思う」と私にメールを送ってくださいました。

 もちろん事故自体はあってはならないことです。事故が早朝だったため、幸いにして人的被害はありませんでしたが、多くの方にご迷惑をおかけしたことは、市政の最高責任者として申し訳なく思っています。

 その一方、国内だけでなく、国際会議でも「福岡市は、あの陥没の対応で世界的にも賞賛された。ある意味では『ピンチをチャンスに変えた』と言えるが、あのすばらしい復旧が実現できた理由はなんだったのか?」とよく聞かれます。世界都市サミットという世界各国の市長が集まる会議で、私を含めて5人のスピーカーが都市のレジリエンス(回復力)について発表をしたのですが、発表後の質問タイムはすべて福岡市の陥没復旧の早さに対する質問でした。

 私は、「地元の土木業者のみなさんをはじめ、県警のみなさん、そして道路の地下に埋設されている電気、ガス、通信、そして上下水道管などを管理している民間事業者のみなさんに普段の系列を超え、自社が抱えている当面の仕事をいったん横に置いてまでも、まさに『オール福岡』で復旧に協力くださったことに尽きる」とお答えしました。

 普段、道路を見てもわからないのですが、その地下にはさまざまな埋設物があります。これらの埋設物の工事を異なる業者が同時に行なうことは通常ありません。ガス管の工事をしている横で、通信会社が作業をすることはないのです。ですから、復旧までの時間を考えるときには、さまざまなライフラインの、それぞれの工事にかかる時間をすべて積み上げて計算しなければならないのです。