

二度の大戦の間に、徴兵保険会社としてスタートし、もうすぐ100年。相互会社を貫く創業からの相互扶助の精神、「最大たらんよりは最優たれ」の経営方針のもと、どんな危機が来ても、お客さまとの約束を守り続ける――。オンライン消費者コミュニティの開発・運営を手がけるクオン株式会社の武田隆代表取締役が、富国生命保険相互会社代表取締役社長の米山好映氏に同社の「企業の遺伝子」を聞いた。
(この記事は2017年11月1日収録のラジオ番組『企業の遺伝子』の内容を活字にしたものです/オリジナル番組制作:JFN、番組企画:クオン株式会社、画像提供:富国生命保険相互会社、構成・編集:編集工学研究所、番組パーソナリティ:武田隆、春香クリスティーン)
春香 さっそくですが、まずは富国生命の成り立ちから伺います。
米山 富国生命は、1923年に富国徴兵保険相互会社として創立された会社で、2018年に95周年を迎えます。
春香 徴兵保険という名称は初めて聞きました。どのような保険なのでしょうか?
米山 当時は、皆さんがご存知の生命保険と、徴兵保険の2種類の保険がありました。戦争が起こると、家族を徴兵にとられた家庭は働き手がなくなるわけですよね。徴兵保険はそこを保障する保険です。戦後、徴兵保険会社はなくなり、富国徴兵保険相互会社も、1945年9月に富国生命保険相互会社という現在の名称に変更しました。
武田 時代背景を感じます。米山さんは9代目の社長でいらっしゃいますが、創業者はどういった方なのでしょうか?
米山 創業者は根津嘉一郎という人で、東武鉄道の初代社長でもあり、他にも国内の多くの鉄道敷設や再建事業に関わって「鉄道王」と呼ばれた人物です。
春香 そうなんですか。鉄道王が、どうして保険会社を始めたのでしょう?
米山 実は、根津嘉一郎は創業者ではあるのですが、実質的な創業者は2代目の吉田義輝という人です。彼はもともと別の徴兵保険会社でセールスマンとして働いていたのですが、その会社は株式会社だったんです。彼は働く中で「保険というものは、株式会社ではなく、相互会社という形で運営すべきだ」と考え、会社を辞めて、同じ山梨県出身だった根津嘉一郎のもとを訪れ、「相互会社で徴兵保険をやりたいので、お金を出してください」と頼んだのが創業の経緯です。
春香 「相互会社で」というところが大きなポイントのようですね。
米山 そのとおりです。実は、根津さんは最初「株式会社でやるなら出資する」とおっしゃったそうですが、吉田さんがそれを5年かけて説得したそうです。ちなみに創業した1923年というのは、関東大震災があった年です。しかも、保険事業の認可が下りて、9月1日に創業しようとした当日に地震が来てしまったんです。そのため、実際に創立したのは11月22日になりました。
春香 創立しようとしていた日に大地震が……。何かの運命を感じます。それにしても、ひどい被害があったのに、2ヵ月後には会社をつくった吉田さんのパワーはすごいですね。