先週、天津の訪問を取り上げたが、その天津訪問を終えて、日本に帰ったと思ったら、また出張が待っていた。今度は上海の嘉定区の訪問だ。故郷の上海はもちろん知っていると胸を叩きたいところだが、案外と燈台下暗しという表現の通り、知らないところが結構あると今度の訪問で思い知らされた。

歴史の一環として建物を保存

 嘉定区はもと上海郊外の県だったところだ。つまり農村だった。今はかなり工業化が進んでいるが、農業も残っている。毛橋村を訪問したとき、驚いたのは、一部とはいえ、かまどや煙突が使用される古い農家がそのまま残っていることだ。

 百年前に建てられた村の金持ちの住宅だけでなく、文化大革命時代に村に下放していた「知識青年」たちが住んでいた平屋や、1950年代の後半、村民全員が食事を一緒にするという超過激な発想で作られた人民公社の「大食堂」なども保存されている。しかも、壁には「知青小屋」といった表示札が付けられており、文化財クラスではない建物でも歴史の一環、自らの歩みという視点で保護している。その意識の先進性に、目を見張った。

上海の郊外で見た、感じた<br />村づくり、工場づくりの進化保護されている「下放」時代の知識青年の住宅だった平屋

 ちょうど山東省の省都(日本流で言えば県庁所在地)済南市が建築されてから100年を超えるドイツ風の旧駅舎を解体して、ありふれたいわゆる近代風の駅舎ビルを建てたニュースを知ったばかりで、地域の意識の落差にため息をついたところだ。上海のこうした一村に山東省が大いに学ぶべきだと痛感している。