長谷川設計事務所があるビルのロビーに入ると、聞き覚えのある笑い声が聞こえる。声の方を見ると、受付の女性と早苗が話していた。

「早かったわね、それに元気そう。風邪で休んでいるわりには」

 森嶋が受付に行くと、早苗が笑みを浮かべながら言った。今日はジーンズではなく、濃紺のパンツにブレザーを着ている。美人というより、キュートな部類に入る女性だ。それも特別個性的な可愛さだ。

「体力には自信があるんだ。だから回復も早い」

「すぐに治る風邪もあるしね。でも、風邪なんか引かないことがいちばん。風邪が別の風邪を呼んで、人にうつすこともあるしね」

 早苗は森嶋に向かって眉を吊り上げた。一つのウソは別のウソを呼ぶ。つまり、ウソなどつくな、ということか。

 2人はエレベーターに乗った。

「今日はなんの話なのかな」

「ずる休みのお説教じゃないでしょうね」

 むしろ、そのほうがいいと思った。ここ数日間で起こったことを考えると、見当もつかなかった。余りに重く深い、多くのことが起こりすぎた。森嶋は自分の許容範囲を超えていると思った。

 早苗は都市模型が置かれている会議室を通り越して、代表室とプレートにあるドアの前で立ち止まった。

 森嶋の方に向き直り、ネクタイの曲がりを直すと、人差し指で軽く額を押した。

 ドアをノックしてそのまま入っていく。森嶋はあわてて後に続いた。

 落ち着いた書斎風の部屋には、村津、長谷川、そして2人の男がいた。新日本建設とユニバの社長だ。2人とも新聞やテレビでよく見る顔だ。

 新日本建設は、スーパーゼネコンとも呼ばれる総合建設会社の中でも国内最大手だ。資本金800億円、従業員2万人弱、年間連結売上高は1兆5000億円を超える。高度な超高層ビル建築技術を持ち、都心部に限らず国内の大きな開発事業では必ずその名前を見るといっても過言ではない。

 もちろんビル群だけでなく、発電所やスタジアムの建設、また高速道路、海底トンネル、海峡大橋、人工島造成などの大規模な土地開発でも豊富な技術と実績がある。最近は発展途上国の電気、水道などのインフラ事業にも参加し、都市計画の分野にも手を伸ばしつつある。

 ユニバもまた、IT関連で国内最大手の企業である。ユニバの規模は新日本建設よりさらに大きく、従業員は同様に2万人程度だが、資本金2000億円、年間売上は3兆円に迫る。元々はソフトウェア開発や技術関連の出版を行う会社だったが、ネットワークインフラ開発事業に乗りだしてから巨大化。現在は国内最大のインターネットショッピングモールやポータルサイトを運営している。また売上の半分は、携帯電話などの通信事業が占める。スピード重視で社員の出入りの激しい業界ではあるが、経験を重視した日本型経営をも取り入れている唯一のIT企業である。

 どちらも日本国内にとどまらず、海外でも名の知れた企業だ。

 その日本を代表する建設会社とIT企業の社長が、この事務所にいる。

(つづく)

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