昔から言われたことだが、料理がうまい人には美人が多い。料理名人と言うと、少し前は料理研究家であるとか有名店の女性シェフであるとかごく限られた人を指していたように思うが、最近は料理名人が急増している。

 料理ブログやレシピサイトで新しいメニューが次々と紹介される。ソーシャル化されたサイトは料理をどんどん進化させ、共有させる。しかも、家庭内で手軽につくれるものが増えている。

 そして料理関係のサイトを見ている人はとても良い表情をしている。おいしいものを研究することは幸せな気持をつくってくれるのだろう。料理の研究は美しい表情をつくり、その時間が「美人のもと」をつくっているのだと思う。料理サイトはありがたい。

 研究熱心になり、料理が上達していくと、結果としておいしいものに出会える。それがまた新しい幸せをつくるのだ。新しいレシピにチャレンジするのが楽しくなってくる。レストランに行っても、材料や調味料を考えて食べる。その分、味わいがさらに深くなる。そして自分のチャレンジが成長する。

 おかげで料理の進め方もうまくなってくる。全体の段取りを想定し、必要なものをきちんと用意し、順序良く進める。自分なりの進行が身につくのだ。そして、街にでると食器を見て、また美しい表情になる。

 こういういい循環に入れない人がいる。興味を持ち、チャレンジするのだが、どうもうまくいかず楽しめない。何がうまくいかないか。たいていは無謀なチャレンジだ。料理名人ではなくいきなり有名料理人になろうとする。自分にできることと段取りを考えず、材料と道具を揃えることばかりに気を取られる。途中で間違えて大変なことになる。幸せな味と出会えない。

 こういう人はたいてい調味料をあれこれ揃えてしまう。初めて出会うような調味料を使うことに必死になる。初めての調味料は予想外な味であることが多い。それが自分のイメージとは違い、失敗となる。その調味料は二度と使われない。捨てるのがもったいないのでキッチンに並ぶのだが。一度しか使われない調味料の瓶がズラリと並ぶ。それは置物になるのだ。民芸品店でこけしが並んでいるようだ。

 キッチンにこけしは並んでいないだろうか。そのこけしは「美人のもと」を減らしていくのだ。新しい調味料のへのチャレンジは慎重に。そして少しずつ増やしていこう。使っていくためにも。