誰もいない場所で扇風機がカラカラ…
非常時も“公平性”を重視する行政

西條剛央さん

西條 こういう問題はたくさんありましたね。野菜を配れずに腐らせてしまうこともありました。一番僕がびっくりしたのは、震災から4ヵ月後の7月中旬に訪れた、まだ100人以上が残る避難所で、周りの市街地はライフラインも復旧しているのに、そこだけ洗濯機が1台もなかったことです。しかもそこでは、“公平”を理由に扇風機が誰もいない体育館の真ん中でカラカラ回っていたんですよ。

 見るに見かねて、僕らが持っていた扇風機を差し上げますと言ったのですが、「置く場所がないからいいです」と行政の担当者に言われてしまって…。個人が個人にプレゼントする分は行政が妨げることはできないので、僕らが個人の方にあげてしまうと言ったら「勝手なことはしないでください。公平性はどうするんですか」って。“公平主義”が本当に根強くあるなと感じました。

 どうやら真面目な職員の方にとって公平性が最上位の概念なので、公平以外の方法を知らないんです。国も、これから目指す国の在り方として、最上位に「より公平な社会」を掲げていますが、そこには「幸せ」を示す言葉はありません。しかし僕が思う役所の役割とは、市民を幸せにして生活の質を上げることです。そのとき、納得感を持って運営をするために平時においては「公平」が役に立つというだけなんです。公平はツールなのに、それを順守することが目的になっています。これを「方法の自己目的化」というのですが、だからそうしたあべこべな事態が起こってしまうのです。

 僕が研究している「構造構成主義」とは、まさにそもそも何のためか、何のためのルールかを問うものです。ルールは、すべて運営しやすくするためのツールですから、ルールのせいで運営ができなかったり、支援がストップするなら、ない方がいいでしょう。

 けれど責められないと思うところもあって…。こうやればいいじゃないかと思ったり、言った人もいたでしょう。でも、「批判が来たらどうするの?君、責任とれるの」と言われたら、多くの人が「いや…」と萎縮しまうと思うんです。ですから、方法の本質は何か。それを皆で共有していかないと、臨機応変に適切に動くことはできないと思います。

 僕が唱える構造構成主義による「方法の原理」では、必ず「方法の有効性」を主張して、「正しさ」は説いていません。「正義」や「正しい」という言葉は、真理主義が背後にあるため、唯一の解を求めてしまいます。ですが、有効性だとより有効な方法をどんどん生み出すことができます。方法の有効性では、すべて特定の状況において、特定の目的を達成するための手段のことを「方法」と呼びます。ですから、「状況」と「目的」から考えて、柔軟に方法を変えながら動けばいいのです。

――またこのような震災が起きたら、人々がこの事態にどう向き合うべきか、今こそ示さないといけないと思うのですが。